ブログ - 20150816のエントリ
昨日は、楽しい思いをした。関東と大阪から四人の親戚がお盆参りに来てくれたのだ。母の妹、母の弟の妻、その二人の息子で、わたしの車に乗せて叔母の実家や夫の墓参り、相続した土地の現状確認などしながら、神湊のレストランで刺身料理を食べた。
わたしーあなたが自分の結婚式の時にバンド演奏したけど、ベンチャーズだったかな?
従兄弟・兄ーローリング・ストーンズだった。
わたしーああ、そうだったか。 わたしはすっかり忘れていた。
従兄弟・弟ー今日見た時、あなたがまったく別人に見えた。
わたしーそうだろうなあ。体重は10キロ落したし、白髪だらけの頭になってしまった。
叔母ーあなたを遠くから見たら、お父さんにそっくりだから驚いたわ。
わたしー親父の顔は卵型で俺の顔は大きいからぜんぜん違うと思っていたけど。
叔母ー歳とったら父親に似るっていうけどその通りだわね。
叔母ー幼い時に日露戦争の歌を歌ったわ。負けて逃げるはロシア兵、死ぬまで戦うは日本兵なんて。
叔父の妻ーそんな歌を歌いながらお手玉をしたわ。五つのお手玉をそれぞれ片手で持ち上げて回すのよ。
わたしーお手玉は知ってるけど5個も!
私たちは東郷神社にいた。日露戦争でロシアのバルチック艦隊をやぶった東郷元帥が祭ってある。高台にあり、海に面しているせいか、涼しくて盛夏とは思えなかった。
自宅に招いて、母の仏壇を拝んでもらい、お茶やコーヒーを飲みながら、母の思い出などを話し、梅干や梅の酢づけを土産に差し上げた。
こんな小さな出来事が、昔の自分に出会ったような気分になるなんて初めてわかった。
毎年、8月になるとテレビや新聞で戦争論議が起こるが今年は自民党が交戦権を認める決議を強行採決したこともあって、いつもよりも盛んである。戦争で酷い目にあった、戦争をしてはいけない、というニュースが出ることに異議はないが、感情的すぎるのではないか、と思う。戦争はなくならないこと、軍備を持たない国はないこと、わたしたちもすでに軍備を持っていることを忘れてはならない。日常生活において脅されたり暴力を振るわれそうになったりすると私達は警察を呼びます。警察でも手に負えない場合は自衛隊が出動し、国際間の紛争になるとアメリカ軍が出動します。彼らに代行してもらってるわけですから実質的に私達はピストルや大砲、原爆をもってるのです。そこを踏み違えて武力を持たない国だから憲法9条は素晴らしい!などと盛んに言う人に賛成は出来ません。私は大学時代に一撃必殺の精神を叩き込まれ、空手の訓練を受けました。50年経った今でも心の中にその攻撃性は残っているし、いざとなると右手の拳を使うでしょう。それがある意味で自分の支えにもなっています。
戦争が始まるとほとんどの場合、相手の国に入り込み、在住の自国民を守るためだとか自衛のために相手の基地や軍備を叩くためともっともらしい理由づけをします。太平洋戦争は終結したと言いながら、70年も米軍が日本に残っているということは被占領状態がまだ続いていると言うことです。日本政府はアメリカのやることに異議を唱えたことは一度もありません。
極端な意見を言えば全世界の国が核武装すれば戦争はなくなる、と逆説的な言い方もできます。全世界、地球が破滅することまでやるか、という覚悟になります。