ブログ - 20140919のエントリ
わたしは宗像市内で集金の仕事をしていました。23年間もつづけたので市内を通りかかるたびに思い出の集金先に、バイクを止めてみることがあります。ある農家の集金先でした。バイクを止めてみると以前の古い家はなく、新築の家が建ち前住者と同じ表札名が出ていました。
瓦の落ちかけたあの小屋も消えていました。そこで老主人が首吊り自殺をしたのです。
15年前のことです。その家はNHK受信料は口座振替にしていたのですが、残高不足になり領収書が発行されわたしは集金に通い始めました。やつれた老婆が現われ、払ってくれました。彼女は家の内部のことをよく話しましたので中の様子がよくわかってきました。家の中は老婆が独りで住んでるのかと思っていましたが、時々30歳くらいのスキンヘッドの男が近くに立って老婆とわたしの様子を見ていました。あの子は夜勤の仕事なので昼間は家で休んでいるのですよ、と老婆は言い、わたしはその言葉を信じていましたが、向かいの家のお婆さんは彼は引き篭もりで時々彼女の家に入って物を盗んでいくと離していました。実際は働かずそんなことをしていたのですが老婆は良いようにつくろっていたのです。あの子の母親は博多の中洲で働いていて、わたしは街中で男を相手に夜通し働いていた、と言って農作業を嫌っていました。
その息子は施設に引き取られ、老婆は特別養護老人ホームに入りました。
ある時、強く印象に残る話を老婆がしました。
うちの主人はずっと百姓をやっていましたが、ある時期から、俺はどんなふうにして死ぬんやろうねえ?と口癖のように言うようになりました。わたしはどう答えて良いかもわからず、そんなこと言ったって、とつぶやいていました。ある時、主人がまたそのことを言いはじめましたので、また始まった、と考えて昼食の茶碗洗いをしていましたら、主人の出かける物音が玄関から伝わってきました。えらく、急に飛び出した格子戸の閉め方でした。畑に出かけたのかと思っていましたが、夕方になっても農作業用の軽トラックは車庫にありました。
倉庫に行き、二階の納屋に行ってみるとロープで首をつった主人の死体がぶら下がっていました。
わたしはその場に倒れ、何時間も起き上がれませんでした。嫁と息子が動いて葬式も終えましたが、
今になって主人の言葉が何度も思い浮かんでくるのです。