ブログ - 20140428のエントリ
東京での遊学生活は20年になりますが、不思議な体験を何度かしました。定職にもつかず、夢は破れ、女にもふられ、友達も去り、35才になってもフーテン生活でした。
ある日、何の用事があったのか忘れましたが、山手線のホームに立っていました。どこの駅だったのか憶えていませんが、電車が来るのを待っていました。昼下がりで、乗降客の姿もまばらでした。目は線路のレールに向いていました。何かを探してるわけではなく、ただレールを見ていたのかひきつけられていたのかわかりません。自分の中から奇妙な衝動がわいていました。磁力みたいなものがわたしを引っ張っているのです。おどろきましたが、その引力は確実なものでした。レールがわたしを引っ張り、その上に引き込もうとしているのです。そんなふうに感じ取られました。わたしの内部から引っ張られまいとする力が現われ、両方が綱引きをはじめました。
わたしは一歩退き、目線を線路から放して、乗降客のほうに向けました。観察し始めました。
線路の引力は少しずつ消え、普通の精神状態にもどりました。二度ほどそんなことがあり、故郷の父が脳梗塞で倒れたことを機会に東京から引き上げてきました。
時々、その時の精神状態をふりかえってみます。行き場をなくしたわたしに自殺の衝動がわいたのだと結論づけるのは簡単ですが、あの衝動が不思議でなりません。自分から飛び込もうとしたのではなく、相手から引き込まれそうになったのです。
マスコミの事件の報道はすべて加害・被害の視点にもとづいていますが、現場の両者の状況はそうではないのです。本人の意思にかかわりなく行動に走っている場合が多いのです。万引き犯だって本が彼の手を引っ張っているかもしれませんし、通り魔殺人だって被害者が加害者のナイフを引き寄せているかもしれませんし、盗撮犯だって彼の手がスカートの中に引っ張られているかもしれません。
人間の意志とはなんでしょうか?
私達はすべて自分の意志にもとづいて言動をおこしているのでしょうか?そうではありません。操られているのですが、それはその意志がどんな因果関係で発生しているかを分析してみるとわかります。連休だから街に出かけてみよう、魚釣りに行ってみよう、友達に会ってみよう、などの意志はまわりの環境に影響されています。魚釣りに行ってみようと考えるのは幼い頃に父に連れられて海に行ったことがあるからと言う原因でしょうし、あの友達に会ってみようと言うのはその友達があなたにテレパシーを出しているかもしれません。一方向ではなく全方位的な視点を持たないと人間関係やこの世の出来事は理解できません。