ブログ - 20140404のエントリ
新社会人の写真をテレビや新聞で見ると、良かったね、と言ってやりたい反面、当時の自分を振り返って複雑な気持ちになります。わたしは昭和47年に法政大学第一法学部政治学科を卒業していると思います。思います、と書くのは入学式はおろか卒業式にも出席しなかったからです。特別な事情があったわけではなく、ともかくその場に出たくなかったからです。そのせいか卒業証書ももらいませんでしたし、卒業したのかも確認しなかったのでわかりません。
若い頃から、すごく好き嫌いが激しくいい加減なところがありました。これで66才まで自立して生き、妻子を養ってきたことが自分でも不思議に思えます。つい最近まで大学時代に教科書も持っていなかったので生協の本売り場に買いにいく夢を良く見ました。あの頃は学生運動に少し関わったり、マージャンに狂ったり、いろんな肉体労働をしたり、空手をしたり、たまに女を買ったり、友達のアパートに何週間も泊り込んだりなどしてました。四年生に近づくと不安になりました。就職先を考えるとそんな自分が働く職場なんてあるのか?などと考えて積極的に探す気持ちにもなれませんでした。
臨時の肉体労働をしながら食いつなぎました。35歳を過ぎて都会生活に耐えられなくなって、実家に帰ったのです。
そんなわたしですから、大卒22歳で就職する若い人のためになる経験談でもしたいのです。
これまでの自分を捨てる覚悟が必要です。原則的に自分をで出してはいけません。組織のパーツになること決意してください。仕事をおぼえたら研究心、探究心でまわりを観察してみましょう。なぜそんなふうにしなければならないのか?なぜそんなふうになってしまうのか?などには必ず必然性があります。あなたの経験はどんなことでも将来において有益なことばかりです。コミュニケーション力と同時に何事にも興味をもって表現力をみにつけましょう。ネットばかりをみるのではなく、むずかしい本や小説を読み、物事を深く考えることも大事です。
自分がこの会社の社長になったらどうするか?などとも空想してみましょう。
大学を出て、日産自動車座間工場で自動車の組み立て労働をしました。その時の驚きは今でも忘れません。ベルトコンベアで流れてくる自動車のトランクの中に上半身を突っ込み、テールランプを組み付ける仕事でした。運動神経の鈍いわたしはインパクトでうまくボルトを打ち付けることが出来ませんでした。次の工程の作業者は仕事が出来ず、わたしを怒鳴りつけました。わたしの指導をしていた工員はわたしにボルトを投げつけました。今は何時か?と腕時計を見る時間さえありませんでした。
労働、というより刑務所に入れられて苦役をさせられているみたいでした。おまけに三交替で24時間を三つに分け、昼、夜、深夜と一週間ごとに勤務しました。コンバヤ労働は肉体労働の中でも一番過酷なものです。自分の仕事が社会にどんな結果をもたらしているのかまったくわからない、ただの賃金奴隷だったのです。いや、正直なことを言いましょう。自分がテールランプを組み付けた車が街中を走ってるのを見るたびに逆に不信感が起こったのです。あの車のテールランプはきちんと役割を果たしているのだろうか?流れ作業の中でもしかしたら組み付け不良でランプがつかないのではないかと。
この経験でわたしはF・カフカの小説が理解できるようになりました。底辺から世の中を見、思考が深まり、世の中の動きのほとんどが理解できるようになりました。恐いものも人間もはほとんどありません。
私にとっては、どんな状況でもどんな経験でもどんな人間でもすべてに価値があります。すべてが探求の対象だからです。