ブログ - 20131004のエントリ
わたしの個人的なことから書きます。父は高校の英語の教員でした。母はすごくプライドの高い女で典型的な教育ママでした。当時は教育ママのハシリと村人たちの噂にのぼる人でした。わたしは田舎の小学校の時からテスト攻めにあい、のんびり過ごしていた連中よりはるかに良い点数をとり、事情を知らないものから陰で神童とうわさされていたようです。調子にのった父母は私を某国立大学の付属中学校に入学させました。入学試験の点数は合格圏に届かず、父のコネで入ったことをわたしは母から告げられました。すごいショックで、今でも尾を引いています。真面目に正しく生きなさい、という信念で育てた者がみずから不正行為をして、母はわたしに次のように言いました。(あんたはお父さんのコネで入れたんだから、ガンバラないけんよ)わたしはもう一度ショックを受けました。自分がわたしを不正入学させておきながら責任をわたしに取らせる言い方じゃないですか?男はこんな真逆な論理はけっして持ちません。それから劣等感にさいなまれ、女という種にたいする憎悪・差別感がうまれ、一生消えませんでした。
高校・大学は自力で入学、卒業しました。定職にはつかず、結婚したのも三十歳の半ばでした。
法学部でしたので、頭の訓練もかねて司法試験の法律書を読破し、その問題集にも挑戦しました。小説や思想、政治の本もたっぷり読みました。
そこでわたしは考えるのです。太平洋戦争みたいな受験戦争に青春を捧げさせられ、その挙句、敗戦をうけたおれの人生、教育とはいったいなんだったのか?人生にたいしては高度成長期の中で青春をすこし、イイ思いもしましたので満足していますが、国営の(教育産業)だけは憤りと怒りがつづいています。とくにその頂点にある大学に対して。不満を書けば際限がないので、大学に行った人生と行かなかった人生はどのようにちがうか?という主題に取り組んだほうが早いと考えます。高卒で就職してた場合、仕事をおぼえ社会生活を身につけることに精一杯で他のことを考える余裕はありません。そこでがんばり順調に世をわたっていければそれなりの人生を送れるでしょう。それは確かです。ところが世の中の仕組みや実態に疑問をいだいたり、会社での仕事がうまくいかなかった場合です。ここでわき道にそれますが、高卒で企業に入った場合、良い職場に入ればいいのですが悪い職場の場合は上司や先輩たちにこき使われイジめられて酷い目あいます。中途退職者が多いのはそれが原因です。
社会のレールから離脱した場合、多くの人は自分の無能さをとりあげます。反対に社会のほうがオカシイと考えた場合はその理由と原因を持ち出さなければなりません。それが出来なければ自分のせいにするしかありません。自分を責め続けていけば自殺が待っています。
わたしは高卒者と比較した場合、20年間もの猶予期間がありましたので、(理論武装)がじゅうぶんに出来ています。誰とあっても論争が出来、あるいは先方の思想・考えを吸収することができます。この世の仕組み、この世を操ってるものの正体が見えているので自信があります。ものごとを理論付け体系づけすることが出来るのはやはり法律書や思想・哲学書を読み漁ったからです。
まだまだ書くことはいくらでもありますが、(この一冊の本)を取り上げてくれと言われれば小説では、カミュの(異邦人)ジュネの(泥棒日記)です。