ブログ - 20131003のエントリ
アメリカのある州で,同性愛婚が法的に認められて数ヶ月になります。新聞紙面でその報道を読んだ時、わたしは、アメリカだから何でもあり、だろうくらいに思ってたかをくくっていました。が今になって、これはすごい時代の変化だな!と考え直しました。アメリカでは同性愛者であるという理由で政府の高官や有名人が辞任に追い込まれたケースはいくらでもあります。日本ではありません。それは西部開拓という侵略精神、海外侵略国家のヒーローが男を愛するなんて(とんでもない、コケンにかかる!)ことだったのです。それでも同性愛さらには結婚まで認めざるをえない時代状況に追い込まれたということは、同性愛者たちが多数派を占め、アメリカ社会がちがう世界の入り口に入ってしまったのです。動物の世界にこんな現象はないし、もしあればそれは子孫の残せないので絶滅危惧種に指定されます。皮肉っていうと人類がみずから指定し、されたわけですね。もとよりアメリカは資本主義の先端をいく国でその波及は世界に広がり、日本だって同性愛婚を法的に認めるようになることは時間の問題です。
ここにわたしは(多様性の時代)を読み取るのです。
民主主義は多数決原理により金権主義におちいって利権国家を生む傾向がありますが、多面性を抱合しています。民主主義・資本主義の競争原理のひずみが産んだ同性愛という現象を多様性のカテゴリーで受け入れることはまさに可逆性という物理化学反応でしょう。
障害者も多様性のカテゴリーの中で考えれば一つの個性なのです。暴力と浪費癖のある者、今では統合失調症のジャンルに入れられた男も一昔前は暴力常習者として取り扱われ、多様性のゆるやかな波の中にいたのですが今では精神障害者として扱われ、施設の中に取り込まれています。野犬や野良犬、野良猫、ホームレスたちが施設の中に消えていったようにいなくなり、キレイキレイ社会の(平和で幸福なコンクリート生活が出来上がってしまったのです。
ところが社会は福祉でまかなう余裕がなくなり、(多様性)というジャンルにかれらを返すことになるでしょう。異端者や希少人などの少数派は多様性の中に組み込まれていくのです。
単細胞の分裂で子孫を増やしていった時代から雌雄の分化で多様性・競争社会をまねいたDNAはその筋書きどおりに多様性を社会に持ち込み、その役割を果たしているにちがいありません。同時に競争社会からはみ出て少数派たちが多数派に変わっていった場合かれらに主導権があたえられるわけです。障害者たちが必然的に増えていけば主導権をもつことになるのです。