ブログ - 20130602のエントリ
時間的な余裕があったせいか、今年は野菜作りがうまくいき、観察することが出来ました。畑は食料の自給をしてくれると同時に自然観察の修養場でもありました。
キヌサヤインゲンは花の咲いた頃、鳥によく食べられましたがその後は食べられることなく順調に育ちました。今では取り出した豆を冷蔵庫に保存し、フライパンで炒っては食べています。ホウレンソウは育ちすぎてトウがたち、葉を刈ってゆがいて食べています。大根は苦味のあるのが出来て良かったのですが、これもトウがたったので切干にしています。ミズナもよく成長したのですが、これもトウがたって硬くなり放置しています。スナップインゲンは収穫時期なので、ゆでて食べています。
シロウトの野菜作りですから失敗が多く、その分自然への理解が深まるようです。
ドクダミの花が咲き、収穫をはじめました。昨年収穫して産直の店にだしたのは全部売れてしまい、嬉しかったです。100グラム、500円で、40袋くらい売れました。
トマトやキュウリはよく成長していますが、シシトウ、ピーマン、ウリなどはいつまでも大きくなりません。牛糞、鶏糞、油粕、38(化学肥料)などをじゅうぶんにやっているのです。
ここで考えました。雑草は肥料などやったことがないのに野菜をはるかにこえて成長が良いのです。その点、野菜は肥料をやり手入れをしないと育ちません。それは野生のエネルギーが関係しているでしょうが次のように考えられます。雑草は刈られることがあっても収穫して持ち去られることはありません。その場に放置されて枯れるだけです。ところがこれが養分の補給になるのです。雑草を構成する元素が土に還り、次の年に芽を出す草の肥料になるのです。だから、肥料がいらないのです。そのつど収穫される野菜は養分の補給が人の手で要ります。
人間も本来は自給自足の生活をしていたわけですから、それは自己循環にちかいものです。山林の雑木林を考えてみましょう。ドングリやヒノキやいろんな木は自己もふくめさまざまな木の元素を落葉から吸収して育っているのです。
そう考えてみると、私たちには自分の力で生きていく能力がそなわっていて、多様な人間や多様な国家にかこまながら、それが活性化につながっていることがわかります。