ブログ - 20130228のエントリ

本田先生

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-2-28 8:49

本田先生が亡くなられたことを近所で耳にし、先生の顔が鮮明に数年前の出来事・出会いのように思い浮かびました。二、三年前に私が高血圧で開業医に通っていた時に先生がいらっしゃって、(わたしも高血圧ですたい)と見知らぬ患者に向かって言われ笑っておられた日を思い出します。70歳すぎなのに髪も黒くふさふさして、あの輝く目も55年前と同じでした。わたしは声をかけそびれ、先生もわたしに気づきませんでした。

55年前、先生は太平洋戦争の現地から帰還したばかりの兵隊でした。小学校の教員につき、私たち3年の担任になりした。当時としては珍しい黒のジャージをいつも着て、精悍な顔と笑顔がありました。サッカーが得意でグランドをよく走っていました。

その日のことです。

(お前達、廊下に並べ!)

いつになく激しい声を耳にし、クラス全員が廊下に並びました。わけがわからずまごついていました。

(母の家の生徒ー養護施設ーがこのクラスを使った後、おまえたちはなんて言うたか?)

強い口調でした。

誰も返事が出来ませんでした。

地域の集会があり、(母の家)の子供達が私達のクラスで話し合いを終えたばかりでした。

(臭い、って言うたろ!)

その言葉に皆返事ができませんでした。

(歯を食いしばれ!)

先生の言葉は連続しました。

わたしは列の中ほどにいましたが、頬を平手で叩かれる激しい音が連続し、伝わってきました。

頬に激しい痛みが起こり余韻が残ると隣から(ピシャ!)という響きが起こりました。

(俺は臭いと言ってはいなし!なぜ、殴られるんだ?)

わたしは考え、殴られた原因がわかりました。

当時はまだ戦争が終わったばかりで、親を失った子供やアメリカの黒人や白人との間に産まれた子供達が(母の家)に引き取られ、生活をしていました。人手と衣料も足りず、子供達は何週間も洗わない汚い服で登校し、人目につきました。自分は(臭い)とは言っていないが心の中で思っていました。

成人するにつれ、本田先生のビンタの意味がよくわかりあんな先生に自分の息子を育てて欲しいと思いました。

 

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