ブログ - 20130207のエントリ
8年前、息子が高校二年生の時であった。
(お父さん、ゲームのカードを買いたいから、車で乗せて行って)
(おー、良いよ)
わたしは軽く答えて、にんまり笑った。
息子は6,7歳の頃から、冬の寒い朝など石油ストーブにべったり張り付いて飯を食い、その食べ方は障害者のように遅かった。何度注意しても改めなかった。サッカー部に入り、試合のたびに私は車で送迎した。体を鍛え、健康であることが大事で勉強は二の次だと考えていた。中学、高校と進んで、反抗期に入ったことはわかったが、甘え癖、怠け癖、他人のせいにする癖はひどくなっていく一方だった。いつも週に二回は遅刻し、高校から注意されていた。
(学校に遅れそうだから車で送って)
(ふざけるな!学校がいやなら辞めて働け)
(俺の名前をなんでこんな名前にしたん?こんな名前だからなにをやってもうまくいかん。変えてくれ)
(日頃の態度が悪いから人からそんなふうにみられ、名前にもイメージができてしまう)
私は言い、少しは治っていくかな考えていたが、なおらなかった。
(根性を入れろ!根性がないと社会に出ても食っていけないぞ)
(そんな大昔の言葉を使って?)
こんな有様だった。
息子が助手席に乗り込むとシートベルトをつけさせた。
わたしはドアをロックした。
(貴様このやろう、俺が何度言ってもわからんな。お前は人間世界で生きてるから殺されもせんでいられるけど動物の世界だと食い殺されてるんだぞ!)
というと息子に向かい、両手の拳で叩きつづけた。
息子は両手の平で頭をかばっていた。
いつも叩こうとすると逃げ足が速く追いつけなかった。サッカーで鍛えていたからだ。
その日はそのままゲームのカードを買いに行き、息子と話すことはなかった。
次は高校三年生の時であった。息子は公園でタバコを吸っていて学校に通報され、わたしが学校に呼ばれた。(これでお前は退学になるんだな。上の学校に行く金を出さなくて俺は助かる)とわたしは息子を罵倒した。息子は涙を流した。担任がわたしの家庭を訪問し、謹慎処分をくらった息子の様子を見に来た。(先生たちも大変ですね。文部官僚の言うなりになって自分の教育方針を実行できない)わたしは担任に言った。(お父さん、子供をしかったり叩いたりしてはダメですよ。誉めてあげなくては)担任は言った。
その年の春休み、息子は自動車販売店で洗車のバイトをし、専門学校に入り、アパート住まいを始めた。二年間通学しながらバイトをして、その金で自動車教習所に通い、免許を取り、就職した。
昨年の7月、わたしは心臓のバイパス手術をした。手術に失敗して死ぬ恐れがあったのでツマは息子のケイタイに電話を入れたが、(着信拒否)になっていた。息子からはまったく音信がない。
わたしは時々、気にかかった。(便りがないのは良い便り)という言葉があるが、どうしているだろうか?息子を訪問しようと考えれば出来る。
(お父さん、高校の先生がお父さんのことを何と言っていたか知ってる?)
(何と言っていた?)
(おまえは可哀想や。あんなお父さんに育てられからグレたんやな)
そんな会話が最後にあった。
(俺は自分の教育方針が間違っていたとは思わん)
そんなやり取りが思い出される。
さて、今回の全日本柔道女子の監督の暴行事件。練習に遅刻したり練習態度の悪い選手を叩いたり、暴言を吐いたという。マスコミは一律に暴力は悪いというキャンペーンを張っている。
私は今でも息子を殴ったことを悪いとは考えない。
選挙の結果、前町長の宮内氏が約七千票、開発反対派の西田氏が約五千票の獲得だった。二千票の差で前町長が再選したが、西田氏の五千票は開発の署名反対運動で獲得した数とほぼ同じであった。西田氏がもう少し早く立候補の表明をしておれば結果は逆転していたかもしれない。町長の毎日の仕事は様々な催しや会議に参加して顔をうることであり、彼の交際費の中から町民への慶弔金もでており、圧倒的な選挙運動を事前に組織的に展開していた。町議や教育長、町長、副町長、職員達の年収、退職金の数字も西田氏によって公表され、彼女は自分が町長になったらそれらを削り、町長の退職金は0にするとまで訴えていた。このことに開発側の町議、職員、町長、副町長、教育長などは恐れおののき、自分達の既得権を守ることに専念し、あらゆる地縁、血縁、開発業者を動員して得票活動をした。西田氏の町長選出発式には30人、宮内氏の出発式には300人の支持者が集まり、この数字でわたしは宮内氏の勝利を予想した。自民党の麻生代議士も衆議院選挙と重なったこともあって宮内氏と手を組み、開発反対を訴える者は西田氏とわずかな共産党議員だけであった。他は自己の既得権の防衛に走り、岡垣町をどうするかなんて考える者はいなかった。10対1の差で自分が再選すると信じていた宮内氏は五千人の開発反対署名者の数と二千票の得票の差に敗北にちかい苦汁を飲まされた。
海老津駅南口開発にたいして議会ではまだ継続審議なのに、正月明けから金比羅山でチェーンソウの荒々しい響きが鳴り渡っていった。30個はある頂上への石段、その両脇に茂った杉の木が間伐も含めて100本ちかく切り倒され、その後は小学生が動因させらて桜の木を植樹し(きれいな町にしましょう)と訴えかけさせた。町の演出どおりに進められていった。金比羅山の線路側、幅17メートルの杉の木が100本以上倒され、消えてしまった。禿山が赤土をむき出している。そこを17メートル道路にするのである。山の入り口に立っていた樹齢200年ほどの銀杏の木が切り倒され、そのあおりでそばに立っていた社が崩壊し、その弁償は業者がするかどうかもめているらしい。秋祭りのときに子供達が歓声をあげていた相撲場も消えた。
あの杉の木の地面の中で、今年の夏に鳴こうとおもっていたセミたちは殺されたんだな、といつも散歩している男は言い、あの神社の下のお地蔵さんの前垂れはうちの母がいつも作ってやっていたと付け加え、町に苦情を訴えに行っても協議会が了解しているとこたえるだけだといった。
これはまだ序の口で、これから岡垣町の象徴とも言われる金比羅山が破壊されていき、車の走らない広い道路が出来ていくと思うと胸が痛んでくる。