ブログ - 20130217のエントリ
(イジメ)についてしばらく考えていましたが、なかなか理解できませんでした。わたしはイジメられたこともイジメたこともあります。
今日、やっとわかりました。イジメとはテリトリー(縄張り根性)からきているのです。一時、鶏を五、六羽飼っていました。雄鶏が一羽、雌鳥が二羽ですがそこに知人からもらった雌鳥をいれたことがあります。するとそこの主であった雄鶏がすごい勢いで飛び掛り突いていくのです。相手が顔中血だらけになり、片目をつぶされても攻撃をやめません。相手は逃げ回るだけですが、死ぬまで突きまくるでしょう。
この場合は雄鶏同志のライバル意識が加わって激しくなっているのです。人間社会の現代においてイジメが流行りいつまでも止まないのは民主主義による個人主義が強まりすぎてて、戦争中や封建時代のような絶対的な思想がなくて結束感が生まれず、人間関係が希薄で不安定であるからです。ツナガリの確認のために一人の人間を的にし、暴力を振るったり、物を隠したり、笑いものにしたり、陰口を叩いたりする。その行為によって自分が仲間や組織に属しその一員であることを確認し、安心するわけです。
イジメる者は弱くて不安定な心の持ち主なのです。それが自己と同類の弱い者を見つけて、攻撃し一時的に自分の弱さをカバーしているのです。強い者がイジメるということは力学上ありません。
マスコミの仕事には事実の報道だけではなく、購読者への啓発、啓蒙精神がある。マスコミが発生した頃、特に新聞などは主義主張が目的であり、それに向かってがんばっていたが組織が大きくなると普遍性を求めらにれ、それを取り入れていった。社訓をもうけて方向性をしっかりさせ、多くの視聴者に受けられようとした。今、幅をきかせている新聞社はそんな歴史をもっている。
ところが最近、マスコミは事件のもぐら叩きばかりし、日替わりメニューみたいに視聴者・購読者を遊覧させる傾向が強いくなった。この一、二年(自然破壊、環境破壊)の言葉や文字をまったく出さなくなった。出るのは政治家ごっこ、政治遊び、尖閣列島、竹島、アベノミクスの円安、経済成長、開発予算など目先のことばかりで目の裏で進行している環境破壊のことは忘れている。環境破壊は人類滅亡に通じているわけだからそちらの方がだいじであるはずなのに、本末転倒している。
わたしは今、田舎に住んでいるが、散歩するたびに小さな川までコンクリートで埋められ、車や人の通らない散歩道まで舗装され、その下で無数の生物が殺されていった事実を知る。マスコミはそのことは報道しない。(自然破壊は人類絶滅に通じている)ことをマスコミは訴えない。それは金にならないし、スポンサーの機嫌を損じるからである。
政治番組になぜ政治家を登場させるのだろうか?NHKもそうである。政治の宣伝屋、詭弁学のプロを登場させてしゃべらせ、国民に拝聴させようとでもいうのか。だから、TV番組が面白くない。政治家を登場させるならその対極にある組織や人を出して議論をさせるべきである。