ブログ - 20120421のエントリ
ダックス・フンドは飼い主の数十秒先を現実として観た、と書きました。オイちゃんが集金に来るという人間にとっては数十秒先の未来なのですが、そこに私は不思議を感じるのです。
人間は普通の生活の中で未来を見ることは出来ません。けれども、死ぬ間際に未来を見ることがあるといいますね。私の母は亡くなる3ヶ月前に(戒名がないとあの世に行っても友達づきあいが出来ないから戒名をつけてね)といって私に20万円を渡し、旅立ちました。旅立つ3週間前には(ほうれん草を持っていきなさい)と言ってベットから起き上がりました。膝と腰の痛みで寝込んでいたのですが、軽々と畑に歩いて行って、ほうれん草を引き抜き、私に手渡したのです。
彼女は自分の死期を知っていました。
つまり、未来はすでに下絵としてあったのです。現実に現像されて現実になるのを待っているだけなのです。人生も潜在観念(下絵)としてそなわっており、踏襲されて現実化するるだけのことなのです。このことは宗教的な表現(因縁、カルマ、宿業など)で言われますが、科学的に解析しても整合性がとれます。
ここで宗教と科学が一体化してくれれば、もっとわかりやすくすっきりした世界になると考えるのですが、両者とも業界の既得権にとらわれているのが残念です。
でも未来がわかってしまうことが良い事なのか悪いことなのかはわかりません。(タイム・マシン)の作品にあるように未来は変えられないとしたら、わからないほうがいいかもしれません。