ブログ - 20120405のエントリ
今になって色んなことがわかってきました。結局どんな人間であろうとどんな生き方であろうと、その幸福度の方程式は0であるということです。(空腹は最大の味覚をつくる)というタイトルで前回ブログを書きましたが、逆に(満腹は最低の味覚をつくる)ということなのです。飢えに苦しんだ量だけ美味しくなるわけですよ。寒さに凍えた量だけ暖かさの快感を得ることができるということです。いつも満ち足りた人生をおくっている者は本当の美味しさや快感、幸福度は味あえないということです。
それは座標軸で観れば反転対称形になっている。どんな人生であろうとどんな人間であろうと苦痛、快感変転し、マイナス、プラスの数値を加算していくとけっきょくは0になるということです。高校時代にもこんな考え方をしたことを思い出しました。
そこに平等性があり、神が色んな人間をつくり、人生を生きさせている宇宙の意志(神の摂理)が感じられます。
64年間生きてきて、自分の人生、社会の動き、政治の動き、はては国際情勢を観るとイタチゴッコ、モグラタタキにしかすぎない。いつまでも目先の利益に振り回され、揺れ動き、同じことの繰り返しである。帰納法と演繹法という表現があるが、巨視的な視点をもって演繹法で政策をおこすべきだと思う。
神の視点とは宇宙の意識、その視点である。宇宙の誕生、推移、変転、死から次に地球の誕生、推移、変転、死、それが国家、個人のそれらと重なり合っている。
いつまでも生きつづけ生き延びようと考えているのが間違っているのだろうか?人類は破滅すべきののであろうか?
現代文明によってこの地球、自然が破壊されるのは防げないのだろうか?寒い時にはそばにあるストーブに手を伸ばし、腹が減ったらそばにある美味しいものに手を伸ばす、そんな本来的な欲求にまかせて生きることがまちがっているのだろうか?いや、そうではなく、文明の利便性に寄りかかりすぎ当たり前だと感じてることが間違っているのだ。
人類が少しでも繁栄を先延ばしにしたいのであれば世界人口と食物エネルギー、資源エネルギーのバランス、自然の破壊状態などという大きな視点から政策や法律を決めるべきではないか?目先の経済の繁栄に振り回されてはならないし、票になることばかりかんがえてはならない。国や政治家は神の視点に近づかねばならないと思う。