ブログ - 201205のエントリ
渋谷駅メトロ・ホームで殺人未遂事件が起こり、犯人はつかまった。被害者はサバイバルナイフで刺されたが一命は取り留めた。(肩がぶっつかった)のが刺した原因だと犯人はいうが、因縁がぶっつかったのだとわたしは考える。無数の人々が行き来する場所だから、一日に数人の人達と体がふれあうことは日常的である。
そこでなぜ刺した男と刺された男でなければならなかったのか?(因縁をつける)という言葉があるようにお互いに因縁を持っていてそれが遠くから反応しあっていたのだ。加害者はなにをやってもうまくいかないというストレス、被害者には人生上における無力感が負圧を生じていた。そこで鋭い隙間風がナイフの刃先となって流れ込んだ。
よく見られる物理化学的反応ではなかったのか?
4月26日にわたしのバイクが通りがかりのものに盗まれた。激しい金の取立てをしたこともあったのでその恨みを感じた。
5月26日にはスナイパー(血栓)に心臓の血管をふさがれ、死にかけた。血栓は美味しいものを長年食べつづけた快楽の集積であるが攻撃因子に変わった。
因縁がぶっつかたのだが、中には良い因縁もあるから悲観するばかりではない。
今は一年の中で一番好い季節ですね。寒くもなく暑くもなく雨も少なく、酷暑にむけてつかの間の恵みの太陽です。生い茂った雑草の中に座り込み、手で露草を抜いたり硬い雑草はカマで切り落としています。自宅が200坪、母の残した家が700坪もあるので、毎日その作業をやったとしてもやりきれません。
十歩も歩けば呼吸困難、1時間も作業をすれば体が動かなくなる状態なので、遠出は出来ず身近な仕事をしてリハビリをしているのです。いつまたスナイパー(血栓)に襲われるか知れませんし、心停止、心不全の可能性もあります。あさって検査にいくつもりですが、いつも死を覚悟しています。
(病み上がり、ヤブガラシを引き抜けず)
なんて言葉が思い浮かびました。
(解放の日々、草むしりをしてすごす)なんて言葉が思い浮かびました。会社には休業届けをだし、生命保険もかなりおりてきます。仕事のノルマから解放され、未来の責務も計画もない今、こんな体験は初めてなのですが、今日が最期の命だとおもって過ごしています。
もうすぐドクダミに花が咲きます。以前は邪魔者で腹だたしかったのですが、洗って日陰干しをして売れば金になることを経験しましたので、今年は大量収穫の年になりそうです。売れなければ秋まで保存して高値にすることも出来ます。
ドクダミ君、早く白い花を咲かしておくれ!今年は二度収穫してあげるから!
その日、15時から2時間にわたって、冠動脈のカテーテル治療をおこなった。主治医をはじめスタッフは8人ほどであった。3度目の治療なので手術台に載ったわたしは落ち着いていた。4ミリの冠動脈の90パーセントを塞いだ血栓をバルーンで広げ、ステントを入れて90パーセントほど開くのである。
痛みもなく終わり、わたしは一安心したわけだが、気にかかっていたことがあった。通常人の1.5倍も大きいその血管、それに張り付いた血栓がはずれ、血管を回り始めたらどんなことになるだろう?主治医はプロだから備えと対策は十分にとっているはずだ、心配することはない。
わたしは病棟の部屋にもどり、夕食を食べ始めた。
心臓が痛み、吐き気が出、わたしは異変に気付いた。心臓が鼓動にあわせて突き刺され、耐えられない。痛い!痛い!痛い!と叫びつづけた。看護婦がふたり駆けつけ、わたしをベッドごとナース室に運び、すぐに心電図をとり、心筋梗塞といった。わたしはその間、痛い!と叫び続け、しだいに声も力が失われた。主治医に電話を入れた二人の看護婦は彼が来るほうを向いて、談笑していた。
天井が走り、壁が走り、わたしのベットはすごい勢いでもとの手術室に戻された。
そらからのかれらの手際は素晴らしかった。ソケイ部の両方の血管にステントを押し込み(箸のような太さであった)、ペニスの穴にホースを押し込み、左手首からステントを入れた。発病後2時間ちかくたち、血圧は20?30に低下していた。あと1時間遅かったら死んでいた。
現在、その日から3週間たって退院してるが、後遺症が出て少し動くと息切れがし、心臓が痛む。酸欠になった心臓は繊維質化してポンピング機能をかなり失ったのである。
一ヶ月前の3月26日にバイクの盗難に会い、バイクは戻ってきた。それから一ヵ月後に命の盗難にあい、戻ってきた。欲しい人がいればいつでもさしあげます。
このブログへの返信が外人もふくめ40人ほどあり、うれしくおもっています。書き続けます。