ブログ - 20120410のエントリ
福岡伸一さんの(生物と無生物の間)という本を数年前に読み、感動しました。生物とは自己繁殖能力のあるものであり、無生物とはそれのないものである。ウイルスはその中間に属し、宿主に寄生してでしか生きていけない、と書いてありました。
私は仕事がら毎日、バイクで走っています。風が吹いてきます。風の吹き方は春夏秋冬、あるいは一日中でも絶えず変わります。直線的に吹いているかと思う、と蛇行したり旋毛になったり回転したりうねったり、あるいは歌をうたうようにのんびり吹いたり、暴風になったり、竜巻、台風になったり人間の感情のようにたえず変化します。大気は蒸気になったり、氷になったりして変化します。
福岡伸一氏は、風や大気は自己繁殖能力がないから無生物であると定義づけるでしょう。
私には生き物に思えてしかたありません。生物はもともと水溜りのなかからウイルスが現れたように、無生物の中から現れたのです。無生物は生物の古里なのです。
動物愛好家が岩や石の愛好家になるのはこのことだと思います。
こんな経験は珍しくはないのですが、今、私が思い返してみると謎めいたものに感じられます。あるアパートに住む女性宅に集金に通っていました。三年間ほど2ヶ月に1度かよい、世間話をし、彼女が抱いて現れるダックス・フンドとも親しくなっていました。
ある時、バイクをアパートから20メートルも離れた位置に停めました。バイクの箱の中から集金カバンを取り出し、肩にかつごうとした時、彼女の部屋の中からダックス・フンドの叫びが聞こえてきたのです。(あの集金のおいちゃんが来たよ!)と飼い主に告げているのです。
私は犬が嗅覚で私を感じたことを知りました。少し驚きながら、ドアを開けて私をむかえてくれた彼女から集金をしました。
ここで私が考えることは犬が人間より先に未来を知ったということです。私がもし彼女の結婚相手であれば犬は飼い主の再婚を読んだし、殺人者であれば彼女の死を彼女より先に知ったということです。犬にとっては未来ではなく現実だったのです。未来は潜像(潜在観念)として存在しており、それが見える者には現実の姿なのです。下絵であったものが現像液にひたされ、現実の姿を現したにすぎません。人間として存在している限り、未来の姿は見えないし、未来と現在そして過去は平行状態のままでで決して交わることは出来ません。現像液の能力、特殊能力があれば未来も現像できるでしょう。
犬の嗅覚は人間の数万倍もあるということですが、人間界からみれば超能力ですね。人間は知性と言語の発達によって失ったのです。
森進一をはじめとして男性歌手,男性作詞家もふくめてですが、女心を歌うのが抜群にうまいですね。女性歌手が女心を歌うより女性作詞家が書くより、男の心にしみるにはどういうことでしょうか?
私はいつも小林旭の(昔の名前で出ています)を聴くと涙が出てきます。前川清の(噂の女)もそうです。
歌舞伎でも女形の演技は女より女らしく、まさに色気があります。
ある男に(最高のセックスとは何だと思う?)と尋ねられ、答えに困りました。
すると彼は(それはオナニーだよ)というのです。
わたしは考えた末、わかりました。男でも女でも同性愛にはまったら抜け出れない、ということを何度か耳にしたことがあります。オナニーをする場合は自分の中の女、あるいは男とセックスをし、両性具有の状態なのです。セックスの最中に自分の欲する性の技巧がわかるのは当人だけなのです。その欲求を完全に満足させれるのは当人以外はありえません。一人二役なのです。前のブログに書いたように男にも女にも異性が住んでいるということです。
白か黒かではなく、白も黒も同居してるというのが人間存在であります。無理に分けようとすると混乱が起きるわけです。
(死んでもいるし生きてもいる。どちらでもある)シュレディンガーの猫、の言葉どおりです。