ブログ - 20120407のエントリ
両性具有者とは男性器と女性器の両方を持っている人のことでですが、発達の度合いの差はあるが誰もが両方を持っているのです。クリトリスはペニスの退化したものであり、睾丸は卵巣がむき出しになったものです。女性ホルモンと男性ホルモンにおいてはその量のちがいが男と女をつくっているにすぎない。人間は本質的には両性具有者なのですが、近代の精神は白と黒をはっきりさせなければならないシステムになっている。だから、逆に混乱を起こしてしまう。性同一障害(これはおかしな言葉だと思う。男か女かはっきりしないのは障害者なのだろうか?)という表現にみられるように心は女であるのに性器は男、心は男であるのに性器は女、というややこしい状況になってしまう。もともと両者は混在しているものだと捕らえたほうがわかりやすい。社会の秩序を構成するためにははっきりした区別が必要なのであろう。
寒さと暑さでとらえてみると、寒さの記憶があるから暑さを感じ、暑さの記憶があるから寒さを感じるのです。両者は重なり合っているだけであり、実は裏腹なのである。この世の存在はすべて対立物と重なりあっている。男と女もそうであり、金持ちと貧乏、健康と病気、勝者と敗者など数え上げればきりがない。そんな考えから人生や社会を眺めるといかに私達が(どちらかでならないという)偏向した考えを植え付けられてきたかがよくわかる。
自分もふくめ思想の原点に戻らなければ錯乱させられるばかりである。
心に温度計があるとするなら、私のそれは外気にひとしく20度くらいです。春が訪れ、あの冬の寒さが嘘のように感じられます。あの寒さの裏には暖かさが芽をだそうと待っていたのです。両者は重なりあっていただけなのに私達は気づかなかったのです。今のこの暖かさの裏には寒さが潜み、その記憶が暖かさを感じとっているのです。
今日は仕事を午後三時くらいできりあげ、畑の草むしりをしました。タマネギの畑には雑草が密集し、むしりとるのがかなり面倒でしたが、あとは散髪を終えた頭のようにすっきりなりました。何日か前に植えたナス、トマト、キュウリ、キャベツに水をやりました。
地球が太陽の周りをまわり、春夏秋冬が訪れ、めぐっていく。自転するために昼夜が訪れ、そしてめぐっていく。寒暖や涼しさ、暑さを感じ、心の動きとリンクすることはわかるがなぜ人間は気温のちがいを感じとるのだろうか?生物学で学んだように変温動物であるからだとおもいつくが、それにしては人間、そして自分の存在に不思議さを感じとります。