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わたしがレベルが低いながらも、その大学の政治学科に入学したのは政治学の世界から人間関係を学びたかったからである。そこで丸山真男の著作や(力は正義など)(攻撃は最大の防御なり)の箴言から政治の裏表をまなばさせてもらった。喜怒哀楽がはげしくて自己主張の強かった自分は政治史の中で相手の立場という最も大事なことを理解し、それが日常の人間関係にも通じていることも知った。
それから五十年がたった今、ウクライナ戦争やイスラエル戦争などあらたな紛争がうまれ、世界は相変わらず血なまぐさい暴力を繰り返している。生活の利便性やAIの発達と言いながらもどこが発達したのか?と言いたくなる。宗教の世界も人の心を発達させウrことができず、コロナの被害にも三年間も打ち勝てなかった。
ところで、
ニュースは毎日、スマフォでみているが、日本のインバウンド需要や猫の動画に心を休ませられる。日本に観光で来る外国人は経済的には恵まれている人々であるから、寿司が美味しいとか街並みが綺麗だったとかほめるのは当然であろうが、そこに日本人が見えなかったものが見えていることを知るのである。考えてみれば、外国からみれば日本は幸福な国である。侵略戦争はしない、福祉は充実している、清潔であるなどで、黄金の国と形容されても不自然ではない。
人々は温和だし、暴力事件もあまり起こらない。だがもし、日中戦争などに火がつけばどうなるであろうか?太平洋戦争の二の舞になる可能性がある。日本がアジアを侵略した歴史などみればどんなことがきっかけであったかよくわかる。そこでは侵略したなどという言葉は一切使わず、欧米の侵略からアジア守ったということにしているのである。これは今のウクライナ戦争と同じ論理である。
このようにして戦争は生まれるし、ニュースであってもフェイクの場合があるから慎重に見極めねばならない。日頃の人間関係であっても、負けるが勝ち、と考えられれば事件は起こらない。歳をとれば、すべてが面倒になり、負けるが勝ち、ともなるのである。
(南京錠)という小説を知人に読んでもらったところ、面白かったという評価を受け、自信がついた。家庭内別居の引きこもり女が主人公であるが、かなり苦労して書きあげた。それに調子づいて、(走馬燈)という小説に取り組んでいたが、半ばからラストの部分で思い悩み、迷い続けていた。が、タイトルを(夢物語)に変えて、半ばから書き始めている。(夢物語)は二十代の頃に書いて、小説現代新人賞の一次予選に通ったが、76歳にして再度挑戦することになる。
(幽体離脱)がテーマなのであるが、ネットで調べると、すでに大学教授がそれに取り組み、本まで出版していることがわかった。アニメにもあった。寝ている時に魂が体から抜け出て浮遊するのであるが、自分は小学校に入る前に体験したことがあった。当時の子供たちは、親が出かけている隙に家に集まり、かくれんぼやお医者さんごっこをして遊んだ。隣の家は西洋風の家で、タイル張りの風呂や台所が珍しくまるで外国に来たようであった。四、五人の近所の子供たちが集り、かくれんぼをする。女の子と二人で押し入れにかくれ、見つからないように抱き合うのであるが、下半身の方が興奮してしまうのであった。母親と父親の行為を見ていたのであろう、そのマネゴトまでするのであった。母親のタンスの中から口紅を見つけて塗って見たり、ゴム製の変なもの・ペッサリーを見つけたりした。中学に入ってからはそんなことが出来なくなったが、やりたくてたまらなかった。
すると、布団の中に寝ていた自分の体が浮き上がり、宙に漂って、隣の家に行くのであった。あの女の子の布団を目指していた。そこで抱きあい、射精してパンツがぐっしょりなっていた。
ニ、三度しか経験しなかったがあれが幽体離脱であったのだ。記憶にははっきり残っている。(夢物語)の主人公はNHKの集金人でいろんな地域を飛び回っていろんな人と出会うのであるが、狂土という男に出会って幽体離脱の世界に入り込んでしまう。そこで幽体離脱を試みるがうまくいかず、最後に成功して、自分の思う通りにストーリーを組み立て、自作自演をすることに成功する、という筋立てである。
ラストは幽体離脱して、自分の寝ている顔がグニャリと歪んで見えることになるが、うまく書ければ面白い作品になるであろう。
昨日の日曜日、毎週通っている教会で、(異言)の話を牧師から聴いた。そこは神、イエス、聖霊の三位一体を基本にしていて、興味深い話を牧師が独自に解釈してくれている。ペンテコステ派である。
(異言)とは霊が人に乗り移り、口、舌を通してしゃべることでその宗派では珍しくはないことようであったが、興味をひかれていろいろ質問すると、牧師はそれに関する本を持って来てくれ、今、読んでいる。そこで思いついたのは、イタコであった。これは霊媒師に自分が呼んでほしい人の生年月日など書いて出すと、呼び出してくれて、二十分間も口伝えをしてくれるもので古くからある。
現実の生活の中ではありえないことである。霊というものは目に見えないが、空間をかなり飛び回っているのだろう。それをキャッチできるものは特殊な能力者である。出来ない者は霊媒師に頼んだりして死者の声を聴くしかない。人間は科学を発展させ、豊かな文明生活を築いて来たというが、知らない世界、目に見えない世界は無限にある。テレビの電波なども見えないがテレビ受信機を通せばいろんな景色や出来事がほぼ無限に見え、超音波だって聞くことができる。
幻聴や幻覚なども現実もものではない、というがチラリと聞こえる声や音、ちらりと見える人や景色なども見えない世界のふとした切れ目ではないだろうか?そんなふうに考えると見えなかった世界の本当の姿がそのうちはっきりしてくるに違いない。
二つのキリスト教宗派の教会に通い、学んでいたが、B教会には行かなくなった。それはBからは吸収するものがないと同時に怪しげなものを感じ取ったからであった。B宗派は聖書を部分的に書き替えながら、それを聖書として読ませ、それに教会での説教の内容は彼らのつくったものを質問と答えにして、信者達に問い、答えさせていた。教条主義、カルトとも批判され、先輩信者に教義の質問をすると、それは本部のネットで質問してください、と言われることがあった。うがった見方をすれば彼らは聖書を自分たちの都合のいいように書き換えて布教し、信者達を洗脳することが考えられるのであった。A教会の説教も聖書の内容をとりあげていたが、そこには牧師の主観も混じり、人間臭さも出ていたが、Bにはそれがまったくなかったし、キリストの存在さえ認めていなかった。それでありながら新約聖書を用いるのはおかしいともわたしは考えた。
今、就職の面接試験にもAIが登場するようになったが、これがさらに進むとどうなるか?怖くなったのである。そこでスタンリー・キュウブリックの(2001年宇宙の旅)という映画を思いだした。その内容はAIが発達して人間の行為を奪うため、人間がAIを殺す、というものであったが、まさに今はその分岐点にはいったように思える。イーロン・マスク氏が精神障害を治す方法として脳にチップを埋め込むことを実施しようとしているというニュースなど、まさに人間そのものが奪われる時代に入っているようだ。
そのうち、聖書もAIによって書き換えられ、B宗派のように人を支配するにちがいない。
教会に通うようになったのは、十年前に心臓のバイパス手術をしてからであった。無事に手術を終えたのだが、ある頃から布団に寝ていて心臓が波打ってることを意識するようになった。心拍数が早く、時々不整脈も出ていて、ドッキンドッキンと打ってるかと思うと、止まり、また打ち始めるのであった。心臓が止まるのではないか?と不安になったが、そのうち、なぜ心臓は鼓動を打ち、誰の力で打ってるのか?と疑問を感じていると、聖書の創世記の中の一文に気づいた。そこには神があらゆる生命をつくり、生きていくようにした、と書いたあった。なるほどと考え、心筋梗塞で死にかけたわたしの心臓を救ってくれたのは現代医学であるが、生命の動きの根源まで説明は出来ないことに気づいた。全知全能者を持ち出さなければ説明がつかないのである。
毎週、日曜礼拝に通い、賛美歌を歌い、説教を聴き、使徒信条を唱えてきたが、老い先を考える今、仏壇にも手を合わせながら、ふと考える。あなたにとっての神は仏壇なのですか?キリストなのですか?という問である。ある宗派は神を信じるのであれば仏壇はどこかに処分しなさい、と言い、ふつうのキリスト教宗派は本人の考えに任せる、という具合になってるようだ。
母が十五年前に心筋梗塞で亡くなって、いっしょに住んでくれ!と言われながら放置し、孤独死という事態になってしまったのであった。近頃、そのことをすごく後悔しているし、そうか、おれもそのうち父母のもとに行くのだなと考え、成仏の意味も分かり始めたのである。善人も悪人も死ねば仏になる、と言う考えだが、そこであなたは父母の元に行くのではなく、神の元に行くのですよ!仏壇は取り払いなさい!と、もし言われたら、キリスト教の方を捨てるに違いない。
ここで、自分は若い頃は日本人であることをすごく嫌っていながら、今はやはり日本人であると、知ってしまうのであった。キリスト教に改宗した日本人たちはこのあたりをどのようにして理解したのであろうか?好奇心がわくのである。
今の世の中は、差別、セクハラ、パワハラとマスコミが騒いで、混乱し、まさに、ものいえば唇さびしになってしまい、知識人、有識者たちも口をつつまなければやっていけなくなってしまった。作家やコメンテーターなどは自分の言ったことやしゃべったことがターゲットにされるのではないか?とおびえている。だから、自分の考えや意見が言えず、世の中はマスコミとチャチャ族主導に成り下がったのである。
ここではっきりしたことを言い、時代に方向性を持たせるべきである。
まず、差別とはちがいを指摘し、それだけならば問題はないのであるが、優劣感をふくませるから問題になるのである。このまえ、わたしが顔見知りの女に、あんた、顔が変わったんじゃない、肥えたみたいよ、と言っただけで、それはセクハラよ!と言って腕を摘ままれたことはこのブログに書いた。その後は、最近、可愛くなったね!なにか好いことがあったの?と話しかけるとすっかり、笑顔を見せる。
単純なことなのである。ほめ殺し、にしてやれば良いのだ。先ほどの言葉でわたしは彼女が醜くなったなどと思ったわけではない。ただ、肥えた、と言っただけなのである。当時、彼女は化粧をしなくなり、顔がだらりとなっていたことは間違いなく、彼女もそれを気にしていたからおこったのであろう。
その他、差別感がからみそうな差異はたくさんあるので気を付けなければいけないが、その言葉の真意がどこにあるか?差異の持つ重要性は忘れてはならない。同じ人間は二人とはいない。容姿、考え方がたくさんあってその違いがエネルギーを生み、多様性が活性化を産んでいることを思い止まるべきである。単細胞生物みたいにみな同じ顔と考えであれば、単細胞時代にもどるしかない。
多様性とは大事なことである。自分が人と異なることは気にすることではなく、逆にその個性を自慢すべきことなのである。こんなことを書くわたしはいつも変わり者と言われ続けてきて、気にすることがあったが逆に今は自慢したい。
今回のニュースは、ダウン・タウンの松本人志氏が、芸能活動の仕事を失ったことで五億円の損害賠償を文春側に提訴するという。その報道は大きく取り上げられ、一週間ほども続いている。長引く裁判になりそうだ。
また、こんなことか?と思いながらも、、いつまでも続く男と女の誤解さわぎにはっきり決着をつけねばならないと思った。
七十六歳の老いぼれは枯渇してそんなトラブルに巻き込まれるkとはない?と、考えていたが、まだまだ、灰になるまで、の言葉通りのようである。
原因は男と女の誤解にあり、いつまでもその誤解は解けない。つまり、男が自分に好意を持っていると思う女の肩を触ったりしたことが発端なのだ。今、会員が15名ほどのカラオケ同好会に毎週通い、楽しんでいるが、入会した当時は誤解するようなことがあった。この町のカラオケ団体を仕切っている女が会員にカラオケの発表会にでてもらいたいがために自分でつくった小豆弁当を持って来て皆に配った。その時、ある女が立ち上がって、皆の目線を気にするようにして、わたしの席に近寄り、隠すようにして、わたしの足元に彼女の弁当をこっそり置いたのであった。見たぞ!と言うささやきがそばの男から聞こえて来た。彼女はわたしの頬に髪の毛が触れるまで顔を寄せてきたのであった。私と彼女はパソコン教室で、顔見知りであったが、そこまでされたことに驚き、悦んだ。
それから、彼女に電話を入れたり、花の球根をプレゼントしたりしたが、特別な好意はないことを知って、手を引いたが、そこまでされれば、手を握ったりキスをしたであろう。それがセクハラだと騒がれたとしたら、おまえが誘ったんじゃないか?いう答えになるであろう。今回の松本氏の事件は仲間たちの飲み会でしたことが原因であるようだが、私の場合と似ているのではないか?考える。
次は、・・会の場合。そこも毎週、カラオケ練習会をやっていて、わたしは隣町の女の送迎をやっていた。六畳間ほどの和室で五、六人で歌っていた。ある日、早めに行ってその女と二人だけになっていた時、足がむくんでいるから、ここをもんでくれない?と言って、スカートをめくり、太ももを出した。わたしは言われた通り、もんでやったが、もう少し若ければ手はそこから先にすすんでいたにちがいない。つぎに、彼女がワゴン車の後部席にのるときであった。足腰が少し不自由であったので抱きかかえようとすると、わたしの手を払ったのであった。では、足を揉んでくれ、と言った内容とは違うではないか?と考えたが、わからなかった。
このような男女の出来事はほぼ日常的に起こっている。セクハラだといって線引きが出来るのであろうか?それに、女が男に恋心があればセクハラというより、嬉しい、ということになってしまう。それを試すこともあって、男は手を握ったりキスをしよとしたりするのである。
こんな複雑極まりない出来事を裁判官がどのように裁くか見ものであるし、もういい加減、決着を出してもっと大事なことにマスコミは取り組んでもらいたいと考える。
ある身内が閉鎖病棟におよそ四十年間ほど入院していて、正月明けに電話をしてきた。携帯電話は三社とも滞納して引き込むことも出来なくなっているので、公衆電話からかけてくる。カレンダーを持って来て来てくれ、というので、わかった、と答えた。この前は、パンツを五枚買って来てくれと言うので、持って行った。
彼に対しては、文学的興味以外は関心も薄れていて、何をしゃべっても通じないサイコパスだと考えているので自分にできることがあればしてあげるだけである。病院は車で十分くらいの距離なので、行った。ところが一か月前の建物から変わっていたので、見取り図を見なが探して、訪れた。その建物はふつうのビルだろ考えていたが、受付でカレンダーを持って来た、といっても実物を見ながらサイズや外見を電話で、閉鎖病棟に説明するのである。
面会も約束の時間を決めて、オンラインでするようになっている。それはコロナが関係しているが、もとよりむずかしい病気なのでトラブルを避けるためであろうことはわかっていた。受付の女から、名刺サイズのカードみたいなものを渡され、操作の仕方を習った。エレベーターののる時もそれを小窓にかざさなければ乗り降りができない。
二階に上って部屋のインターホンを押すと看護師が現れ、もう一度カレンダーを点検するように見て、OKを出した。どこか違う部屋だな?と思いながら周りを見回すと、わかって来た。部屋の表示板がないと同時に窓がないのである。中は少ししか見えず、患者らしき男が公衆電話で話をしていた。腕が病的に震えていた。
身内が出て来て姿を現だろう、と考えていたが、現わさないので帰ることにした。エレバーターに乗ってカードを子窓にかざしてみたが反応はなく、手で押しても動かないのである。さきほどの部屋のドアに行って看護師を呼び、彼がかざすとドアは開き、動き始めた。一階に着いて、先ほどの受付を探したが見つからない。おかしいな?と考えながらあちこちのドアの前に立って、探すがわからない。
もともと方向音痴のうえ、認知症が加わっているのでますますわからない。部屋の窓はなく、たくさんの白いドアと壁、天井に囲まれているだけである。人の姿はない。恐怖がわいた。閉じ込められてしまって、出れなくなっている!出入口が消えているのである。
二十ほどもある部屋のあちこちを探し回りながら、通りかかった女事務員に聞くと、出入口は目の前にあったのであった。
閉鎖病棟に、閉じ込められかけたのであった。
後で、あなたもここに入って生活しなさいと、言われていた気がした。
そう言えば、階段はなく人の自由な動きは出来なくなっていたのであった。何年か前に行った時には面会も出来たが、すっかり変わってしまった。その前に行った時には部屋に鉄格子がはめられていた。
この出来事は閲覧者数が多いので、小説にしたいと考えている。
税務署からのお知らせ、と言う文面でメールが来た。来月は確定申告の時期であり、そろそろ電子申告に切り替えねば、と考えていたので申込の文面に入力していった。住所・名前・電話番号・生年月日など打ち込んでいったが、パスワード設定の部分でひっかかった。もとよりこんな手続きは苦手だったのでしばらくキーボードの手を置いた。どこかおかしいのであった。還付金と書いているがまだ確定申告はしておらず、金額などはっきりしていないはずだし、クレジットカードの番号まで書くように言ってきている。役場に電話した。担当者が出て、それは詐欺です、という。送信しましたか?というので、していない、と言うと、それ良かったと答えてきた。びっくりした。警戒心の強い自分が還付金詐欺に引っかかりそうになったとは!
交番に行った。お巡りさんは三人いて話を聞いてくれて、それは詐欺です。自分の所にもメールが来ました、と言う。
だまされなくて良かった、なけなしの金を持って行かれたら、正月から飯が食えなくなるところであった。もし間違って送信した人がいれば金融機関やクレジット会社に口座を閉鎖してもらうしかない。警察に犯人は捕まえられないのですか?と訊くと、海外のサーバーを使っていたりするので、できない、と言う答えであった。
怖い世の中である。猜疑心の強い自分が餌食内なりそうだったということは!認知症になっていけばまちがいなく、餌食になるであろう。
元旦の今日は仕事から解放される。夜明け前に起きて、ポンコツ車でお飾りを二つの店にもっていくことはない。昨日出していたお飾りは50本ほどほぼ完売であった。来年はあと三か所の店に出してみようかと考えた。
昨年はダイハツの不正事件が年末に起こり、自分ののっている車がダイハツだということもあっておどろいた。今、カート整理のアルバイトをしているスーパーマーケットは日本一ということもあっていろいろ研究させられる。出入口に掲示板がもうけられていて客さんの意見が日に5.6件は張り出されている。店長がすべての要望・意見に手書き文字で答えている。大根があそこでは・円、あそこでは・円なのにここはなぜ・円なのか?レジの背の高い女はカウンターに肘をついておしゃべりをしている、警備員が弁当が半額になるとすぐに買っている、など、にぎやかである。だが、背の高い女は書き出されたせいで店をやめてしまった。個人を特定できる文章を貼りだすのはどうか?と考えたが、店のためにはそうすべきであったと考え直した。これを放置してしまうと、ダイハツみたいに大きな不正行為となって店がつぶれるかもしれないのである。そこの思い切りがその店を日本一のスーパーに育て上げたのではないか?
やはり、おかしいことはおかしいと言うべきである。目をつぶり耳をふさいで死に真似をして生きるのは自分と社会を腐らせるだけである。
今年も難しい年になりそうであるが、声を出そうと思う。