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異性を超えた性同一障害者どうしの結婚が認められる時代になって、性に対する捉え方が変わってきている。この流れは一夫一婦制にも及ぶであろう。
結婚して相性が合い、幸福なカップルが多い反面、悲惨な夫婦もいて、家庭内離婚も見られるようになった。知人の家など、妻は自室にこもって内側から鍵をかけ、出かける時には外鍵もかけ、食事も別々で、話すことも体を触れ合うこともなく、家の中で出会うとツマは自室に戻る、という。洗濯はツマが別々の洗濯機でやり、茶碗洗いはするという。ツマは共同生活をしているのだから権利があると言って、生活費は夫の通帳から勝手に落としてるという。
結婚を終身を前提にしたからそんなケースが起こる。試用期間を半年にし、それからは3年契約にし、不満がなければ自動更新をしていく。妻が家事や育児をしておれば賃金として払い、ボーナスや退職金をつけてあげる、男が同様のことをしておれば妻がそれらを払う。離婚時にはどうするかなど、契約条項に盛り込んでおけば良い。
昨日は岡垣町町民文化祭に行き、舞台に上がって、(お岩木山)を歌った。本格的な舞台に上がるのは初めてだったので、事前にカラオケ・ボックスで練習したり、出場者達と雑談を交わしたりして、気持を落ち着けた。ステージに立つと、人から聞いたことがよみがえった。自分はスポット・ライトを浴びているのに目の前の観客席は真っ暗で人の顔も姿も見えない。違和感と不安が起こったが、マイクを握ると笑いを作り、頭を下げた。歌は歌えたが、歌いながら微妙な部分を調整するまで気が回らず、観客に気持その分、奪われていた。カラオケ教室の女先生の感想を聞いた。?落ち着いて良く歌えたが、やはり癖が出たね?という言葉にわたしは満足しながら、考えた。
ー先生!癖(下からしゃくりあげるように歌い、ヤクザみたいに斜めに構える)は個性にもなりますよ。
と、いつか言ってやろうと考えていたが、その場では出さなかった。森進一が若い頃、全身で歌い、体を揺すり続ける場合があったが、それも癖として治すべきなのだろうか?個性ではないか?と今度、聞いてみようと考えながら、何かに思いついた。癖と個性は対立しながら、平衡しており、その割合は静電誘導の+と?のようなものではないか?と。癖を個性ととらえるかどうかは多数派の判断しだいである。森進一の場合は名の通った歌手であるから、体を揺する動作も心が入っている個性とみなされるであろう。わたしの場合は悪い癖として捉えられるが、(良い)とそれに対立する(悪い、禁忌)とはどんな世界でも+、?がOになるように一定の割合で存在するのである。二項対立の概念が消えることはない。世界最高気温と最低気温、世界最高峰の高さと最深の海溝の深さ、山深ければ谷深し、太陽の強さと夜闇の暗さ、などあらゆる二項対立のレベルの実数はほぼ同じである。人間や社会の幸福度、不幸度の実数も同じはずである。戦争の被害度と加害度の度合いが同じであるように。
NHKの委託集金人をしていた時、宗像市・町で若者に出会いました。市営住宅の小さな一戸建てを訪問した時、小柄で敏捷な男が現れたのです。彼は受信料の契約はすぐに結び、金を払ってくれました。世間話になり、わたしがその仕事でいろんな人に出会うとしゃべり、こんな人にも会う、と言って人差し指の先で自分の頬を斜めに切る真似をしました。彼は無表情で首筋の襟元を指でめくり、入れ墨を見せました。わたしは、一瞬、しまった!と考えながらもうなずいたまま表情を変えませんでした。
彼は最近まで組織に入っていて、抗争時には得意の空手を使って闘ったが、組が解散したので、去った。高校時代には人気者で生徒会の会長をしていたが、信頼していた教師に裏切られ、組に入った。そんな話をしながら、彼は左足を軽く上げて蹴る真似を見せたりしたので、わたしは彼の力量を読んだ。
わたしはヤクザや暴力団との係わり合いはないが、彼らは世間で考えるような、険悪な印象ではないと、思い直した。繊細で素直な印象があって、なぜこの人があんな世界に入ったのか理解できない場合があったし、わたしも人生行路のタイミングさえ合えば入っていたにちがいなかった。
反社会的集団、と近頃、政府は名指しているが、国や世間は悪人を必要としているのである。悪人だと名指すことによって自分を善人に見せるという手法は世間にもよくあるし、アメリカなどは絶えず敵を作って自分たちの侵略を正当化している。
これは静電誘導の法則でもある。棒を布で擦ると、+が生じ、同時に他方の端には?が生じるのと同じである。
10月24日は楽しく充実した、思い出の日になった。秋晴れの中を、講座(日本事情B)のための見学・考察をふまえて、福岡教育大学の留学生たちと4時間にもわたるウオーキングをし、水城駅から太宰府天満宮まで休憩なしに歩き、おしゃべりをした。相手は何人か変わったが、ベルギー人・男子留学生との話は興味をひいた。彼は部活で空手をやっており、私も学生時代にやっていたので、(押忍ー忍びながら押すーオス)の精神や日本の武道は礼に始まって礼に終るなど話した。ヨーロッパでは人と会った時に頭を下げることはないし、目線は下げるどころか相手の正体を確認するように見つめる、と言った。
性の話になった。
日本では女形や女は近代前は舞台に上がれなかったことなど話すと、ヨーロッパは狩猟民族が多く、女は狩猟が出来ないので家庭の中の仕事がほとんどでその差別感は農耕民族以上であったと彼は言った。不幸にして女を出産し、幼児が死んだ時には男の服を着せて、男児のように見せかける風習があったらしい。男の同性愛者には死刑の法律さえあったと言う。
行きの電車の中では、黄色いスカーフをいつも被っているインドネシア女子留学生を話をした。どうしていつもそのスカーフを被っているの?と訊く、イスラム教の宗教で決められている、また、男に顔を見られた場合、レイプから身を護るためだと答え、どこか私を避けるような態度が見られた。
向かいの席の韓国人女子留学生と話した。竹島、尖閣諸島など国境の問題が起こったが、どう思うか?ほとんどの韓国人は今頃、なぜ、日本がその問題を持ちだしたか?不審感を持っている、と言った。世界の歴史は侵略の歴史であるから、いつの時代の国境を正しいのにするか?国境線はどのようにして決めるとかなど前進した対話が両国に必要であった、とわたしは言い、彼女はそれもそうだと、言いたげな顔をした。
太宰府天満宮に着くと、商店街の歩道は人混みになっていた。中国、韓国、台湾の観光客達がたくさんいて、店には梅ガヤ餅や民芸品などにぎやかに店内を飾っていた。
中国人女子留学生にオミクジを知ってるか?と訊ねると知らない、と応えるので、私は100玉を箱に入れて、オミクジを彼女に引かせた。わたしが知ってるように、財産、健康、出会い、就職などにおいて幸運が来るとか、亡くし物ものをしてもしばらくしたら出てくる、など書いてあり、私が読み上げてやると彼女はすごく喜び、少女の笑顔を見せ、わたしも嬉しくなった。菅原道真の和歌をていねいにゆっくり詠んで説明してあげた。?東風吹かば匂いよこせよ梅の花、主なしとて春なわすれそ。
昨日、福岡教育大学の公開講座ー日本事情、に参加し、中国、韓国の留学生達とも討議して、良い刺激を受けました。
日本での(公共)という言葉、その中の(公)の意味するものを考えてみました。ネットで調べると、欧米でのpaburic(公共)の概念は水平思考(横の関係、つながり)であるのに、日本の(公共)の概念は上位下達の捉え方、関係があると載っており、私が考えていたとおりでした。公平、公衆、公道、公園、公民、公家、公爵、公武合体などよく使われる文字ですが、公ーおおやけーと言いながら民主主義体制とは異なる貴族、公による支配、崇拝の概念があるのです。同時に天皇、皇族、政治家(武士)、公務員、工業、商業、農業の階級制度が旧来の士農工商と同じく温存されているのです。現代では金持ち(特権階級)でないと一流大学には入れず、支配階級の階段はふめないのです。公立学校は地方を運営・管理する機関が建てたものですし、公務員というのは公僕なのですが、(公)?納税者である民の被使用者であると認識してる者は少ないのです。
織田信長、徳川家康のように戦乱の世を統一した者、その統率者たちが(公)の世界の人間なのです。権力は支配するというより、世の中に平和をもたらして公共性、公衆などを生む社会を作ったという捉え方があり、日本人の生活は支配者の存在を前提にしています。(公共)という言葉は民主主義的な表現のようですが、支配構造を隠微しており、そこに自己主張をしない、権威や利権に投票する、人に頼まれて投票する、お願いで投票する、など権威・名門に服従する日本人の姿が反映されています。日本人は正論を言ってトラブルが起こることを嫌うので、正論は通りにくい社会です。
(公)は決して一般大衆社会を意味してるのではなく、(公家)つまり貴族、皇族を意味し、(公)と(共に生活する)ー公共、と言う概念を有しています。(君が世)という国歌の歌詞にも通じています。君(天皇)の世、ということです。(公然)と言う言葉はどんな概念を持っているのでしょうか?(公)に(然り)なのです。
万系一世の天皇制は(公)より上の、頂点に立っています。また、封建制度が悪いと言うのは現政治体制の為政者が自分達の民主主義体制を正当化するための論理であり、決して良い、悪いのカテゴリーに入るものではありません。戦乱の世を統一し、平和をもたらしたという捉え方もあります。北朝鮮の金体制が今にまで続いているのはそこにあります。
三年前のことですが、当時、わたしは海老津駅南開発反対運動に参加してました。岡垣町役場のそばにあるハローデイというスーパー、そのそばの歩道で開発反対のビラをまいていました。二人の制服姿の警察官がやって来て、わたしといっしょにビラまきをしていた仲間に住所と名前を聞きだそうとしました。わたしはそんなことを応える必要はないと彼に言い、道路使用許可も取っているし、どんな罪名ですか?と警察官に訊くと、110番通報があれば現地確認のために来る、と言うのです。二年後に同じ場所で役場・社会福祉協議会の依頼で人権に関するビラをまきました。三度ほどしましたが、警察官が来ることはありませんでした。
これが(公道)および(公)の実態なのです。
(封建的民主主義)という言葉が日本の民主主義にはふさわしいのです。
昨日の日曜日は岡垣町の多目的施設ー(サンリーアイ)に行った。秋晴れの良い天気であった。毎年、3万人ほどの来客があるという。50店舗ほどの飲食店、バザー店がノボリを立てて賑わい、ダンス、パレード、詩吟、大正琴など盛りだくさんのイベントが行われた。
私は国際文化交流会の英会話教室に通っているので、お手伝いの要請があり、出店の中に入った。10人ほどの生徒(仲間)がいて、(タイ・カレー・ライス)店を開いていて、鍋の中をかき回したり、客の呼び込みをしたり、ご飯をプラスティックの茶碗に盛ったり、カレー汁をのせたり、代金を客から受け取ったり、忙しく楽しかった。男は二人であとは女であった。
11時頃までは暇であったがそれを過ぎると急に忙しくなった。面白いように子供連れが寄ってきたり、顔見知りが声をかけに来たり、隣の玄関ホール前では太鼓を打ち鳴らしたり、東南アジアの若い女の半裸の踊りに人々が集まったりした。
300食のカレーライスが一時半頃には売り切れ、ご飯が無くなったのでカレー汁だけを売ろうということになったが、二件隣でジャージャー麺を売っていたので、うどんの麺が余っていればもらってカレーうどんにしてみたらどうかとわたしは言い、実行してみるとよく売れ、カレーのだし汁が終わってしまった。
三時前になると出店の片付けを始めた。椅子やテーブルをたたみ、テントのポールを集めながら、(後の祭り)という言葉を思い出し、米国人の講師に英語で何と言うのか訊ねてみたが、笑顔で顔を横に振り、すぐには答えきらなかった。彼はわたしの担任ではなく、初級コースを受け持ち、小学校でも教えてるという。日本語はひらがな、漢字、カタカナがあり、(自分)をさす言葉も5個以上あるので覚えるのが大変だろう、私と言うと、英語にはアクセントがそれぞれの言葉によってちがうので難しさの大差はないと言った。
孤独な生活を送る私にとって祭りは刺激を与えてくれ、楽しくさせてくれたが、出店の片付けをしながら、高度成長期の時代を振り返ってみた。戦争と復興を循環させる資本主義にとってあの時代は(跡・後の祭り)ではなかったかと。とすれば次には戦争(破壊)の時代が来るのではないか?と厭な予感がした。
三年前に心臓バイパス手術を受け、三週間ほど入院生活を送ったことが減量のきっかけになりました。それがなければ大食の習慣を変えれなかったでしょうが、それにしても狭心症、心筋梗塞、バイパス手術という苦難の体験は耐えがたいものでした。現在は時々不整脈が出ますが、日常生活はこなせています。
78キロあった体重は65キロまで落ち、毎月通院して血液を調べ、尿酸値以外はすべて合格です。中性脂肪も血糖も血圧も正常です。血圧の薬は毎日2錠、飲んでいますが。
1?ご飯をかむ回数を三十回以上にする。旨みがでて美味しいし、満腹感が出るのでご飯の量をお茶碗の半分にし、野菜、魚、肉はじゅうぶんに摂っています。尿酸値が高いので、抑制にきく鳥皮に変えています。これは比較的やりやすい項目です。
2?調理の方法です。砂糖、塩はいっさい使いません。煮物の場合は肉や野菜を入れて、焦げる前まで煮詰め、それから醤油をわずかに落とす程度です。唐辛子や酢をうまく使って味を出します。
3?運動をします。散歩を一時間半したり、畑を耕す作業を二時間程度します。酒やお菓子は週に一度くらい、飲食します。タバコは自然にやめ、吸う気にもなりません。
これで四年間、体重は65キロのままで、体調も良いです。理想的な生活スタイルなので、外食の多いサラリーマンの方には難しいかもしれませんが、先ず噛む回数を三十回にして、ご飯の量を半分にしてみませんか?
Tpp交渉で関税が撤廃され、安い農産物が海外から輸入され、日本の農家・農業は破滅していくであろう。大規模農場を持つ海外の農家に太刀打ちできるはずはない。票田と呼ばれ補助金頼みであった農家も生き残りの生活を本格的に考えねばならない。過保護に育てられた農家は温室栽培の野菜と同じであったが、天敵から身を護るために雑草のように切り取られれば切り取られるほど強くならねばならない。
日本の農村は棚田をみればわかるように、すでに民芸品であり、訪れた者の眼を楽しませ心を和ませる。そこに美味しい米、野山に柿、栗、野いちご、アケビがあり、川にフナ、ドジョウ、蟹、ハヤ、アカバラ、などがおれば遊園地ではないか。ヤギや牛が草を食べ、鹿やイノシシの姿が見え、珍しい蝶が彼岸花の蜜を吸っていればさらに心が豊かになる。有名な観光地に行くより費用も安いし、茶屋でお茶でも飲みながら、白菜や大根、ジャガイモなど無農薬野菜を買い、野菜作りの話を聞いていければ素晴らしいことだと思う。
ところが現実は都市での歌謡ショウ、祭り、グルメなどに眼を奪われ、人の気持はそちらに吸い寄せられる。資本主義の構造は大量生産・大量消費にあるから、いつもPR攻勢で洗脳漬けにし、希少な分野は対象外にするのである。
わたしの近所の人ですでに放棄地を公園にしてる人がいる。わたしも時々、竹を運んだりして手伝っているが、オカリナ・コンサートをしたり、イノシシ肉のバーベキューをしたり、フットパスで訪問する人がいたりしてにぎわっている。
昨日は福岡教育大学で公開講座(日本事情B)が開講された。坪内先生が講義の進め方を説明したが、教科書にそって進めるのではなく、大宰府の博物館の見学、相撲の見学などをし、生徒たちの自由討議の中で考えを展開させると言うことでかなり進化した授業だと思った。生徒は四十人ほどで、中国、韓国、ブルガリア、ベルギーなどの留学生たちが七割ほどを占め、社会人は四人で、日本人学生は十人ほどであった。
留学生達は自己紹介をした。
(日本人とあなたの国の韓国人を見て、表情の違いはありましたか?)わたしは一人に質問した。(これは言いにくいことですが)とその若い男は言うので、先生も私もそれは気にしなくて言いと言い、(日本人はおだやかな顔をしているが、腹の中は違う)と彼は言い、私たちも納得した。日本人は表情が薄い、という言葉を予想していた。彼の言葉はよく耳にする内容であったしわたしが日頃から、感じていることでもあった。
韓国や中国は絶えず国境紛争があり、中国は多民族、多言語の国であるから、本音を出して自己主張をきちんとしないと、生きていけない。日本は一民族、一言語だから以心伝心で通じる。そこが根本的にちがう。感情を直接出すか出さないかのちがいであり、腹の中はどの民族も同じである。
わたしの子供のような留学生たちを見ながら、遠い国に来ていろいろ迷うことが多いだろうし、わたしの家に招いてご飯でも作ってやりたい、と考えた。国家は国民から税金を取っているので領土を広げたり貿易をしたりして国の利益を出さなければならないから、国家間の紛争まで起こしやすい。北方領土や竹島などトラブルを起こし、日本人の中には差別感情さえ出す者がいるが、基本的には国家と国民は異なる。この講義のような交流の場があれば、誤解もとけるし、戦争は起こらないと考えた。
昨日、日本人学者がンーベル賞を受賞したことでマスコミは大騒ぎである。人体の寄生虫が起こす病気の治療法を研究し成果を出した、という内容であり、毎日新聞にも出ていた。ところが二日前の毎日新聞は山本ふみこ氏が読後感を書いている。(寄生虫なき病)という本には、寄生虫の不在が病気を起こしていて、寄生虫の不在が免疫系を過敏にさせ、難病の原因をつくっているのではないか、という内容でその本の著者であるモイセズ・ベラスケス氏が11歳の時に円形脱毛症にかかり、自らを寄生中であるコウチュウに感染させた(結果は書いてない)ということである。
寄生虫は人体に害があるのだろうか?益があるのだろうか?
どちらであろうか?
どちらも真理あろう。
自然界に善悪はなく、人間が勝手にきめているのであるから。