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ニュースでウクライナ難民の姿を見ると、心が痛み、涙がでる。あれは他人事ではなく、自分たちにも訪れるかもしれない光景なのである。数百万人の人々が子供の手をひき、赤子やペットの犬を抱いて、果てしもない脱出の旅をしている。歩いているのである。氷点下の寒さの中で凍え死ぬかもしれないし、食料もいつはてるともしれない。
まるで聖書の中に出てくる(出エジプト記)である。彼らがなにをしたというのであろうか?何も悪いことはしていないのに家を捨て、命をかけて逃亡する理由はなにもない。こんな理不尽なことが科学や情報の発達した現代に起こるなんて信じられない。が、現実は進行しているのである。
プーチンはウクライナで、ウクライナ人たちを暴力で支配しているナチスをやっつけるためにロシア軍の力で助けると、公言しているが全くの作り話であり、それを知ったロシア軍は戦闘意欲を失っている。世界中がそのことを知りながら、誰も止めることができない。
前のブログでも書いているが、小説(予告された殺人の記録)である。
そこで考えた。
ロシアの侵略はロシアだけが悪く、自分たちには関係ないことであろうか?
いやそうではない、七十年前の大東亜戦争を思い出さなければならない。
あのとき、日本の首相や取り巻き連はなんと言っていたか?欧米の侵略からアジアを救うために出兵すると言い、ほとんどの日本人はその言葉を信じ、命を投げ出して戦ったのである。被侵略国で相当な被害を出し、日本人だけで民間人も含めて数百万人が死んでいる。この構図は今のウクライナ戦争とまったく同じではないか!
アメリカだって、東南アジアの侵略戦争において、共産主義から現地の人民を守ると言ったのである。
歴史は繰り返す、というが、悪いことを繰り返らせてはならない。
今回の侵略戦争ははじまって一ヶ月ほどになるが、なにがなんだかわからないうちに進行してしまった感じがある。有識者たちはもっと早く、実態を伝え、世界に人に訴えるべきではなかったか?
春になり、うちの庭では、八重椿が咲き始めた。先週の日曜日の、礼拝時に、教会に持っていくと、女牧師が喜んだので、まだ蕾ですが、八重に開いてバラのようにきれいになりますよ、といった。聖壇の花瓶に飾ると、白瑞泉や梅の花を守るように背後に立って、見事な見栄えであった。
先週は、芥川賞受賞作の(苦役列車)を読み、すごく勉強させられ、いま、執筆中の(落ち花)のヒントになった。その作品は私小説であるが、ここまで作者の醜さを書いた作品はめずらしく、ふつうであれば単なる醜聞・手記としかみなされないものが、受賞したのである。主人公は中卒の男で、父親が性的事件を起こしてテレビにまで出、夜逃げをした小学校時代であった。中卒で東京湾の荷役作業をはじめるが、長続きせず、家賃をなんども滞納し、酒と暴力を繰り返す、母を殴って金をせびり取る。友達も女もできず、なんの希望もない生活の中で生きている。働いた金で女を買い、酒を飲み、あちこち歩き回るだけの作品で、自分の人生や社会の出来事を深く考えるわけでもない。
これがすごく私の胸を打った。
私の人生とほぼ同じなのである。
すごい作品に出会うと、自分のことが書かれているように思うことがあり、それが胸を打つのである。作者は授賞式で、この金で女が買える、みたいなことを喋ったが、一ヶ月前にタクシーの中で死んでしまった。原因不明であるが、肥満していたので淫蕩生活が原因であろう。
太宰治の私小説でさえ、醜聞を書きながらどこかきれいに見せようとしており、ほんとうの自分の醜さではない。本当の醜さというものはなかなか書けないものなのである。というより、それは作品にはならないのである。
今、書いている(落ち花)は女が主人公であり、(苦役列車)のように醜い部分を徹底的に書いて作品に仕上げたい。
それをこの作者は見事にうちやぶり、そんな俺のどこがわるいのか!と居直るわけでもない。淡々と書いているわけでもなく、細部は執拗に筆を進めている。それが命のエネルギーなのである。例えば追い出されて引っ越す先の建物や道順など作品の中身とは関係ないようなを事細かく書いている。それが作品にエネルギーを与えている。
ウクライナ・ロシア戦争は欧米など民主国家が直接的な介入はしない限り、第三次世界大戦にはいたらないようである。が、展開の予断は許されない。偶発が起これば世界的な広がりを見せる可能性はある。ロシアの軍艦が千島海峡を横断したり、北朝鮮もミサイルを頻繁に飛ばして、日本への攻撃の構えを見せはじめている。
ここで相手の手に乗っては、相手の思うつぼである。勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る、と徳川家康が言ったように、負けるということも作戦の一つである。太平洋戦争で日本がアメリカに負けたのは作戦の一つではなく弱かったからである。数百万人の犠牲者の方々には本当に申し訳ないが、今振り返ってみればその犠牲の上に独裁国家が消え、良かったのではないか?と思う。プーチンみたいな独裁者に居座られていたとすればゾオーとする。
ロシアが本格的にウクライナを攻め始めているが、誘い込んでやっつけるとウクライナの大統領は言っている。ゲリラ戦になることは間違いない。
ここで停戦交渉に持ち込み、プーチンをその場に呼んでみてはどうか?そこで決着・・・?をつければはっきりするであろう。なにしろ、プーチンが一人でやっているような戦争であるのだから。
ウクライナ戦争が始まってほぼ三週間になるが、これがいかにバカな戦争であるか?しか見えてこない。太平洋戦争においてはアメリカは日本に大勝し、日本を極東の軍事基地化して大成功した。ロシア、中国などの共産圏の進出をくい止めることができたのであるが、ウクライナ戦争においてロシアがウクライナを占領したとしても、領土を広げた実績しか出ない。プーチンはnatoに対して勢力圏を広げたと言うかもしれないが、natoは戦争までして勢力圏を広げようとする考えはまったくないのである。
この戦争においてはアメリカの主導する経済制裁に始まって、世界の経済は縮小し、世界の株価は下落し、難民は増えている。ロシアそのものもデフォルトに陥って国が破産するかもしれないし、プーチンは暗殺されるか国外追放されるかもしれない。
誰が得をするのか?マスコミが儲かるであろうが、企業がウクライナ戦争において収益を落としてしまえば高い広告料は取れなくなる。軍需産業が儲かり、その周辺企業に利益が入るかもしれないが、全体の経済効果のマイナスと相殺すれば大したものではない。
今のところ、領土拡張を考える独裁者はいても戦争までしてとは考えていない。
このように推測していけば誰も得をする者のいない戦争なのである。
世界は戦争に反対し、ロシアとウクライナは戦争の停戦会議を三度もやりながら停戦には至らない。まるでガルシア・マルケスの小説・(予告された殺人の記録)みたいである。
なんとも奇妙な戦争である。どこかで火山が急に爆発するように、自然エネルギーの暴発としかいえない。知性のある人間がこんな事をするなんて、(善悪の木の実)を神に禁じられていながら食べてしまった人間の原罪である。自分で考えて行動する自我をもった報いである。
夜の八時には布団の中に入り、午前四時ころに目が覚め、もう眠れない。電気毛布の温度を上げ、一眠りほしいのだが、頭は冴えてしまっている。庭を見ると、闇の中に沈んだまま、夜明けは来そうにない。夜明け前、の闇、それは死をいつまでもひきづり、もっとも暗いのである。仮死状態なのである。墓の中にいる気分である。
起き上がるべきかこのまま死んでいるのか?午前八時ころまで、半端な気分である、寝返りをうつたびに左股間の筋が痛む。継続してではなく時々痛むのだが、継続して痛むようになれば歩けなくなる・・・。そうすれば買い物かご整理のバイトも弁当配達のバイトもできなくなり、産直店への籾殻配達もできなくなってしまう。買い物かご整理のバイトをやっていると、お客さんの出入りが激しく、それが揃いも揃って不安定な歩き方で、よちよち歩き、左右に傾いて歩く、激しく肩を上下に動かすなど、ほとんどが障害者のあるき方なのである。
それは自分お姿の投影であり、もう何年かすれば自分もそうなる、そう考えると絶望的になってしまう。
ようようにして起きあがり、四枚切りの食パン、ブラックコーヒーで、朝食をすませ、手を組んで神に感謝する。車を出して、産直店に籾殻を20袋、持っていく。昨日のメールで出していた15袋が完売、という情報があったからである。
店に20袋を置いていくと、JAのサイロに行って、籾殻の補給をする。一時間かけて、17袋をつめながら、、そこで、株の取引状況を見ながら、下がっていることを知って損切りする。帰宅して、昼食を終えてスマフォを開くと、なんと先ほど納品した籾殻・20袋が完売ではないか・・。
産直店に行って、籾殻17袋を置いて補給をし、JAのサイロに行って、17袋、詰め込む。
帰宅して、町営の大衆浴場に行き、疲れを落とす。帰宅して、レモンの酎ハイを飲んで、くつろぐ。
ここで、大安心する。すっかり、幸福になった、あとは知らない・・・。
朝方の100%の不幸は100%の幸福になった。
それは100%の不幸があったから、訪れたのである。
エボナイト棒をこすれば、+と−の電気が発生する。それは等価の量であり、エボナイト棒を輪切りにしてもその比率は変わらない。反転対象系なのである。
不幸があるから、幸福があるのである。
数パーセントの領土拡張のために、何万人、何十万人の仲間を殺す動物なんていやしないが、人間はこれまでそれをやってきたし、今月からはじめたロシア・ウクライナ戦争でまた、見せつけようとしている。コロナ事変が起こって数百万人が殺されたのに、仲間同士の殺し合いの愚行を繰り返していけば絶滅しかないのにそんなことには目が見えない。共通一次試験で殺人事件が起こりながら、反省もせず、人類の知性の発展をこれまで同様自画自賛してきた結果はそんなものであった。マスコミは事件や戦争が起これば視聴率が上がって金が儲かるのであるから、戦争の勃発を歓迎しているふしがある。
人間とはおかしな種族であり、おかしな世の中である。
いや、それは2千年前にできあがったキリスト教にも原因がある。神は海や山や陸や川をつくり、たくさんの生物を生んだ、と聖書に書いてあり、それはそれで自然の神秘的な営みや仕組み解き明かしてくれて良いのだが、わたしはここで、神に言いたい・・、禁断の木の実を食べ、原罪を持ってしまった人間に大地や自然の営み、その管理を任せたままでいいのであろうか?
任せてしまったがために愚行を繰り返し、生物はおろか地球さえ壊そうとしているのではないか?
原罪を背負ったがために楽園から追放され、額に汗して働かなければならなくなった罰はあったが、自然を破壊しながら生きており、破壊せねば生きられない宿命から逃れられないではないか?
新しい宗教が生まれなければならない。自然を中心とし、人類もその一部にすぎないことを教えるものでなければならない。
世界がコロナで右往左往している最中に、ロシアがウクライナを攻撃し、国家を手中に収めようとしている。ロシアの国内のコロナはどうなっているのだろうか?国が痛手を受けていないはずはないし、無視できるはずもない。他国を侵略する余裕があるのだろうか?
まったく予想もできない事件であるが、偶然の必然、という言葉があるように、これは必然的なものであったかもしれない。コロナみたいに長い間眠っていたものが目覚めて行動を起こしたのかもしれない。戦争や事件はこのようにして、突発することは歴史を見ればよくわかるし、今年は予期しなかったことが目を出す年になるのかもしれない。
だが、プーチンの誤算は武力に頼っていることなのである。アメリカは戦後、数々の侵略戦争に手を出して失敗した。それは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、アフガン戦争と限りなくあるが、結局失敗し、疲れきって、撤退したのであった。
プーチンはこれを他山の石、とすべきであるのに逆にロシアの出番にしているようである。この侵略戦争は長引き、数年では終わらないかもしれない。アメリカの侵略戦争において、乗り込んではみたもののゲリラが野山に隠れ、徹底抗戦された例をみればわかる。最終的に、ロシアは疲弊し、世界経済から取り残され、旧ソ連が解体した二の舞を踏むかもしれない。
今の時代は、暴力団が市民に手を出してしまって壊滅させられているように、相手を敵にするのではなく味方につけるべきなのである。利益や恩恵を与えて懐柔し、仲間に引きいれるべきなのである。これを知ったものこそ生き残り、繁栄していく。日頃の人間関係、社会活動はそのことを知って動いている。
屋敷内の畑に出ると、草が猛々しく伸び、野菜はその中に埋もれてしまっている。タカナ、ホウレンソウ、大根など食用にしかならないが、私の貴重な食料源である。草は春の訪れに遅れまいと背伸びしている。コロナの勢いもその一つであろう。
一昨日は体調が良すぎて、草刈り機で草を刈り、玉ねぎに鶏糞を与えた。玉ねぎの成長はすごく遅いが、すごく大きくなる。ところが、作業をやめて家の中に入ると、鼻水がすごくでて、風邪みたいな症状が出てしまった。もともと花粉症、鼻アレルギーの症状があるのでそれか?と思ったが、オミクロン株の症状はそれに似ている、という言葉を思い出し、怖くなってしまった。額に手を当てると、熱はない。
だが、そのうち熱が出るかもしれなかった。
コロナにかかっら、どうしようか?どうなるのか?病院は満室で入院できないだろう・・・、一人住まいであるから濃厚接触者はいない・・・、寝ていればどうなるか?高齢で基礎疾患もあるから、死ぬかもしれない、死んだら誰が遺体の始末をしてくれるのか?
死体が腐って人に迷惑をかけるのは嫌だ。
知り合いに身寄りのない老婆がいて、その人はそうそうに、病院に検体届けを出していて、すべて処理してもらうらしい。だが、希望者が多すぎて、申し込んでも受け入れられるかどうかわからないらしい。
今朝は、小雨が降っているが、体調は回復し、鼻水の量も減った。昨日、大手スーパーで買い物かごの整理を、3時間やった。歩き方に元気がない、と言われたがなんとかこなした。
朝、顔を洗った。
一枚に掬ひし水で顔洗ふ
こんなことを書くと世界中のクリスチャンたちから総反撃をくらうであろうが、聖書の(創世記)を読むとそのように導かれる。神が、山や海、川、大地を作り、あらゆる生命を生み繁栄させたと創世記には書いてある。人間たちはすべてを人間中心主義の観点から見てしまうのでこんなタイトルに反発し、神は人間を救うためにあり、コロナは疫病であり、サタンであると考えるクリスチャンも多いであろう?だが、諸々の生命(非生命も)を生み育てた神は親と同じく、すべてが子なのである。コロナも人も自分の子なのである。だから、子どもたちが喧嘩を始めても仲良くしなさいというしかない。
いろんな種が生まれることで世界が活性化し、繁栄するのであるから、神がコロナを生み育てたことに異論はない。ただ、誰もが感染したくないことは確かである。それは、食物連鎖の上からはコロナを餌にして生きているものもいて、世界・地球の秩序は保たれているのである。コロナ事変から三年目になっても、その収束は見通せず、不安定な状態が社会に長引いている。それはコロナをはっきりと位置づけたりとらえきれないもどかしさが絡んでいるし、コロナごときに人類・自分が混乱した事実にショックを受けているのである。わたしに三回目のワクチン接種の通知が来ているが、どうしようかとまよっている。感染したくはないが、もうそろそろコロナに命を託してもいいのではないか?思い迷うところである。
専門的に研究や勉強をしたことのないわたし・・・、と書いてみて、それは逆に専門的にやってしまうとその分野の概念に制約されて自由な考えがすすめない、と考え、雑学的な思想で良いと思った。例えば、生物とは自分の力で生き、繁殖する生命である、と定義づけてしまえば、コロナは寄生して生き、繁殖できないわけであるから生命(生物)ではないということになり、生物学の法則が適用できなくなってしまう。これが専門・・、と呼ばれる世界である。以前、ある大学の公開講座(初歩物理学)に参加して、教授がエネルギー保存の法則を講義したので、E=MG(エネルギーは質量✕定数)というのであれば人は年をとって体重は減らないのになぜエネルギーが減少するのか?ときいてみた。彼はそれは専門分野ではないので答えられません、と言ったのであった。
宇宙のエネルギーとは太陽のまわりを惑星が回り、その惑星の回りをちがう惑星が回り、また自転をし、というすごいエネルギーである。自転公転そのものがエネルギーに支えられ、エネギーを生んでいる。その力が筋肉を動かして、活動させ、内臓の体液の流れ、胃や腸や内臓の活動の及んで、生命を生かしているのである。逆に微分されたそのエネルギーは積分されると、一つのもの、つまり象徴されて生命と呼ばれるのである。聖書で、人はみな神の子であり、人類はみな兄弟であると言っていることがそのことからも理解できる。逆に、神は我々を育てている本当の父である、ということもよくわかるのである。