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わたしは1970年代、1980年代を東京で学生生活を送った。まさに政治の季節であった。学生運動が盛んで、キャンパスは新左翼に占拠され、機動隊が入り、催涙弾が投げられることなど日常茶飯事であった。新宿の街にはフォークソンが流れ、長髪や髭を伸ばした若者達がたむろししてにぎやかであった。右翼の活動も盛んで、赤尾敏さんなんか老齢にもかかわらず毎日のように街頭で演説をし、政府の批判など耳をかたむけるようなことを喋っていた。
今、日本は領土問題や政権など国自体が大きく揺れようとしているのに右翼、左翼は消えてしまったわけではないだろうが、姿をみせない。一般大衆も領土問題で中国や韓国みたいにデモを起こしたりはしない。政治や外交などはお上にまかせ、関わろうとしないのだろうか?
職場の会議においても日本人は自分の意見を言わない。管理職の言うとおりにしか動かず、言われたとおりの仕事を一生懸命する。それが自分の利益になると考えている。仕事上において本当のこと大事なことを話す社員がいたら、煙たげな視線を向ける。陰では会社の批判、政治の批判をし、組織が失策をすれば後になって責任追及をする。
水俣病、福島大震災、イジメによる自殺など恐ろしい事件は関わった者達がもっと早く声を大にしていれば防げたかもしれないが、見て見ぬふりをすり者が多くて起こった(人災)である。
右翼とか左翼とか関係なく自分の意見をきちんという人が増えて欲しいと思う。
尖閣列島に中国、日本の民間人が上陸し、領土のことで牽制しあっている。竹島には韓国の大統領が上陸し、従軍慰安婦問題をとりあげて天皇に謝罪をするように発言している。北方四島はソ連が開発をはじめ、返そうとはしない。政府の対応は穏健というのか冷静というのか優柔不断というのか、はっきりしてるようで方向性がみえない。マスコミは現状を報道するだけで政府と似たような姿勢である。
どうにもやりきれず、不安をおぼえる。方向性が見えないというのはそれぞれの国民の不満がこうじた場合いつか来た道にもどるのではないかという不安になるのである。それぞれの政府は政権を維持するために国民の顔色をたえずうかがい、国民が満足するようにしか動けない。これが民主主義である。ということは、(戦争)という事態はいつ起こっても不思議ではなく、いつでも起こりえるのである。
政府とマスコミはそれらの島の歴史的な動き、両国政府との関わり合いをなぜきちんと日本の国民、相手国の国民もふくめて説明しないのであろうか。公共放送をうたうNHKなどはまっさきに報道すべきであるが、従軍慰安婦の番組で問題をおこしたせいで触れることを怖がっている。
世界の国の領土は戦いで奪い取ったものである。自分もふくめて皆そんなことはわすれたような顔をしているが。国境はどんな基準で判断するのか国連で決定すべきではないか。むずかしいことだろうがそれくらいのことをしないと領土問題に起因する戦争はいつまでもつづくのである。
日本政府が毅然とした態度をとり、タイマン(前回のブログで書いている)を張るくらいのことをすれば日本の国民も変わっていくはずであるし、そろそろ(自国はどうやって守るのか)がはっきりさせられてくる
時期になったようだ。衆議院が解散し、次の政権からおおきく変わっていくであろう。
私たち国民も生活のことを考えなくてはいけないが、(自国はどうやって守るのか)をはっきりさせなければいけない。
7月23日に心臓の手術を12時間かけておこない、成功した。3人の医師でバイパスを1本通し、心臓に出来ていたコブをなおし、動きのおかしかった弁を機械弁にとりかえた。
全身麻酔がかかっていたため、手術の記憶はまったくなかった。
4日間、集中治療室にいれられ、つぎに観察室という手術後の患者のはいる3人部屋に入れられた。その頃から、精神の錯乱が起こりはじめた。自分が病院を5つも6つも変わったとか、路上で倒れて病院に運ばれたとか、事実でないことをさも事実であったように信じ込んでいた。看護婦にそのことを話すとそんなことはなかった、といい、わたしは自分が手術前に忠告されたせん妄状態におちいっていることをしった。事実かせん妄か区別のできないその他の事例を持ち出して彼女らに問い、90パーセントは区別ができるようになった。
ところがもう一つ、おかしな行動がわたしにではじめた。病院からの脱出行動である。ケイタイも財布も取り上げられた状態なのにベットの柵をはずし、まだ歩ける状態でもないのに部屋から抜け出し、エレベーターにむかい、外に出ようとしたのだ。看護婦たちはそれに気づき、監視体制にはいった。わたしは脱出をあきらめなかった。ともかく、家に帰りたいいっしんであった。6度目くらいで成功した。点滴スタンドを右手に握って体をささえ、浴衣姿、固定バンドを胸にしめていた。エレベーターにのって1階までおり、玄関を出た。バス乗り場とタクシー乗り場があり、タクシーにのろうと考えていた。ケイタイも財布も持っていない、入院費も払わず、退院手続きもしてないことは意識の中になかった。
16時頃であった。まだ暑いので涼しくなるまで待とうと考えてそばのベンチに腰をおろしていた。すると見慣れた顔の看護婦が現れ、あと三人の看護婦と医師が現れ、「あなたはまだ治療中です。ベットに帰ってください」といった。「もう手術も終わったじゃないですか。どこに行こうとぼくの自由じゃないですか!」わたしは本気で反論した。「これからが治療なんですよ。手術のあとも治っていないし、薬の調合だとかいろんなことがたくさん残ってるんですよ」医者はいい、説得してわたしをベットにかえした。
それからは医者のいうことをきいて治療にはげみ、8月11日に退院した。今でもあの時発見され、ベットにもどされて良かったと思う。医者のいうことが正論でわたしは自己都合で動いたのであった。世の中の事件はこのようにして起こることがわかった。正論ばかりを振り回していたわたしにとってショックであった。考え方を大きく変えねばいけないと考えた。
わたしは菜園づくりではシロウトで、我流でやってきました。二十年ほどもやってきましたが、人の畑に出来てるような立派な野菜はつくれません。自分で食べるぶんにはやはり美味しいなと思う程度です。トマトを収穫して食べてみると店で買うのよりは、味が濃くて肉質がありじゅうぶんで満足しています。
肥料のことですが、畑は耕さず、穴を掘って鶏糞、油粕、化学肥料を土にまぜていれます。土をすこしかけて水を注ぎます。その上に苗をいれて、土で十分に埋めます。霜の降りる可能性がある時期には穴のあいた肥料袋を棒でささえて苗を包み、保護してあげます。
植物は肥料を液肥の状態で吸収します。それで上記の肥料をプラスチックの箱にいれ、戸外にだしたままにして雨がたまるのを待つか、あるいは事前に水をいれるかして液肥をつくっておきます。週に一度くらいは野菜かけ、乾燥期には水やりのかわりにします。
トマト、ナス、ピーマン、シシトウ、オクラなどは10月のすえ頃まで収穫できます。
(タイマンを張る)とは対決する、勝負をする、という意味で不良仲間や暴走族仲間でつかわれ、一般的には良い言葉ではないようです。ところが今の世の中は女性原理が強くてそれを避けたり否定したりする傾向があり、虚偽、詭弁、ダンマリが横行しています。国会の場をみればわかるようにダラダラと時間と金を使って引き延ばし、先送りするのが常態化し、国民もそれが当たり前だとおもわされている。今度の小沢一派の民主党の離党だって、野田と小沢が国会でののしりあいはしなくてもきちんと正面から論理的に(タイマン)を張っていたら、はやく決着がつき、すっきりしたにちがいないがグズグズ、ネチネチ、ダラダラと総選挙まで延命し、保身をはかろうとしている。
国会の場だけではなく、企業でも学校でもすべての組織において引き延ばし、先送りする能力のあるものが出世し、トップになる構造が出来上がっている。
これが変わらなければ、延命治療ばかりされて、自分でご飯を食べることもお茶を飲むこともベットから起き上がることもできない患者ばかりになってしまう。
本音を出し合って議論のできる者がトップにたつような世の中に変わるべきである。
大津市立中学校でのイジメによる生徒の自殺、それが毎日報道されている。報道されてはじめて、被害者が気の毒だという意見がおおくを占めはじめたが、最初に気づいた者がイジメはいけないと言っていたら、(おおげさに騒ぐな)と一蹴されていたかもしれない。多数派を占めてはじめて、初めて正論になる、これが人間社会の実態である。
イジメル側はなかなか狡猾で、ふざけている、冗談だよ、というノリで行動を起こし、イジメているという感覚はうすい。見ている側もシカトして、あいつがいじめられている間は自分はいじめられない、とタカをくくり、イジメに同調している。
イジメられる者は不思議と叫ばないし、叫べばイジメは消えているだろう。これは一つの構図である。
ふざけている、冗談だよ、という演技で彼らはやってくるのでなかなか叫びにくくなるが、そこで叫ぶかあるいはイジメ行為の一つ一つをていねいに記録にとっておこう。いざという時を待ち、公開の場で一人一人を指摘し、糾弾し、たっぷりと損害賠償を勝ち取ってやればいいのである。
政界をみてもわかるように日本は変わりつつあります。
恥ずかしい話ですが、私は国歌の(君が代はー)という歌いだしの言葉を50年もまちがって解釈していました。文字通り、(あなたの時代は)と思い、(君)が天皇を指していることがまったくわかってなかったのです。天皇をたたえる歌というくらいのことはわかっていましたが、学校での国歌斉唱において歌ってるあるいは歌ってないということが問題になり、中国や韓国での反日感情のもとにもなっている状況で(君)の意味を考え直し、天皇を指していることがやっとわかったのです。
それほど問題になるのであれば、敗戦時においていっそのこと国歌も国旗も変えてしまえば良かったのにと思いました。
でもそれは天皇制の問題がからんでいて、むずかしいことでしょう。NHKの大河ドラマ(平清盛)をみていて、天皇を幽閉したり担ぎ出したりして右往左往しているが、政権をとる者にとってはいつの時代も(天皇)への囚われから解放されないんですね!
もし、わたしやあなたのそばに天皇がいらっしゃたら、どうしますか?
ひざまずきますか?頭を下げますか?知らぬ顔をしますか?逃げますか?
その反応は自分自身にとっても興味深いことです。
このタイトルで投稿することには戸惑いましたが、レアを名乗る限りはタブーに挑戦します。男の下着ドロボウはよくききますが、女の下着ドロボウ(とうぜん対象は男性の下着ですが)を耳にしたことはこの65年間一度もありません。いつもそのことを不思議に思っていました。ある時、付き合ってた女に(女の人って男性の下着には興味ないの?)ときくと(あるわよ。でも男の人の下着ってみんな同じようなのばかりだから興味がなくなるんだわ)ってこたえました。そういわれればそうだな、と考えました。もし、女の下着が男のブリーフやトランクスみたいのばかりだったら興味をうしなうでしょうし、フェティシズムを刺激することもないでしょう。
わたしが考えていたのはフェティシズムは圧倒的に男性が多くて、女性にはあまりみられませんがそれは右脳と左脳の発達のちがい、感性の根本的なちがいにあるのかな、ということでした。作曲家、コック、画家、の世界に女性はほとんどいませんよね。これも不思議ですね。
結局はフェロモンだったのです。動物でも雄が雌の尻に口をつけて嗅ぐように、男は女の性器が出すフェロモンに惹き付けられ、追うようになっているだけなのです。
民間会社の組織、管理体制はわかりやすいが公務員、政治の世界になるとわかりにくく、いつまでたっても腑に落ちないことばかりである。それは組織・構造上の問題である。
大臣とはいったいどういう立場にあるのだろうか?総理大臣を社長とするなら、部長クラスであろうし、その下で官僚や国家公務員が働いているということになる。大臣が人事権や給与決定権をもち、かれらに責任ある仕事をさせ、それで組織が動き大きな仕事が進むと思うのだが実態はまったくちがうのである。官僚達に大臣や政治家が使われていることもある。それは政策の立案やこまごまとした法整備など大臣はしろうとでで出来ず、それらの仕事を官僚や国家公務員に握られているからである。口出しなどすれば逆にやりこめられるであろう。議員になろうとする者はこのあたりを理解し、もっと法整備や実務をマスターし官僚や国家公務員の管理権をもつようにすべきではないか。実務の能力がじゅうぶんでなければ違うやり方で彼らを管理する構造をつくるべきではないか。民間会社だって現場の仕事をじゅうぶんに知らない管理職が良い会社経営をやっているではないか。
東京電力をはじめとして全国の電力会社が犯罪行為に等しいことをやったことは、マスコミ報道でもご存知と思いますが、政府はそれにたいしての根本改革をしようとはしない。それはまだ両者がつるんでる状態にあるからでしょうが、本来であれば独占企業という組織をなくさなければならない。
わたしはある独占企業と委託契約をして働いていましたが、内部の職員の意識はまったっく世間とずれていました。(井の中の蛙)で世間の人々がいかに苦労して生活しているかなんていう考えもしないのです。自分達が高給をとる特権階級だということもわからず当然だと思っている。学校を卒業して何十年も一つの組織で働いていると特殊な人間が出来あがるのです。
何十年か先を見通して、電力会社や独占企業は解体すべきです。電力会社には電線の使用権だけを残して、風力発電だろうが地熱発電だろうが太陽発電だろうが民間会社に参入させ自由競争をさせるべきです。今、その体制に進みつつありますが、将来的には官公庁の仕事だって入札で法人委託部門を広げるべきです。
(官)と(民)のちがいなんてたいしてありはしない。