ブログ - 20250306のエントリ
肩を軽くたたいたとか手を触ったとかが、セクハラだとわれてメディアに取り上げられる世の中になって、わたしは息苦しくなっている。自分だって過去にそんなことをしたことは何度もあるし、そんなことは全くしないという者はいないはずである。識者たちはこの問題に触れることを怖がっているし、メディアも本質に迫ろうとはしない。
メディアは視聴率稼ぎのためにほぼ毎日取り上げ、視聴者は有名人たちがパッシングを受けることに快感を覚えているであろうが、明日は我が身なのである。
男と女は体の構造からしてちがい、そのことが性的トラブルを起こすことが多いのである。凸部と凹部は凸部からのほうが物理的に挿入しやすい。だから、それが男の自然のベクトルになっている。当然暴力的に行ってはいけないことで合意が必要である。その構造が精神にも及び、男らしさ女らしさが生まれているのであり、その表現がセクハラだというのは的外れであり、両方の特性を尊重しあって生かすべきなのである。
あるキリスト教会で、何十年間も通い続けていた中学生と高校生が三人とも来なくなった。信者たちは心を痛めているが、自分は仕方のないことだと思った。聖書は淫行を禁じている。思春期の彼らがそのことにぶつかった場合どのように対処すべきであるか?、牧師も古い信者たちも対応出来ないでいる。
わたしであれば性は神が与えてくれた最高の快楽・幸福であるがそれゆえに夢中になりすぎてしまう恐れがあるので爆発物みたいに慎重に取り扱いなさい、と教えるであろう。