ブログ - 20240324のエントリ
今日は日曜礼拝の日であったが、小雨の降りつづく寒い朝で,出るのがおっくうになっていた。メールを入れて休もうかと思ったが、バイトの始まる16時まで部屋に籠っているのはますます憂鬱になってしまいそうで、身支度を整えて出かけることにした。教会に添える花はなににしようかと考えたが、八重椿はこの前持って行ったし、水仙も終わりかけている。庭の端に忘れていた白梅があったので、二本取り、庭梅も二本ととって教会に傘をさして出かけた。ところが白梅は一メートル半ほどもあって、長すぎると考え置いて行こうかと思ったが、とりあえず持って行くことにした。
教会のドアを開けて、花はそのまま炊事場に置いて、牧師にあいさつをすると、白梅と庭梅を花瓶に入れて飾り、水仙ともう一種類の花を下方に並べてくれた。
あまりの素晴らしさに驚いて、眺め、こんなに変わるもんですね!というと、牧師も褒めていた。祭壇の十字架と背の高い白梅、ピンクの庭梅が照応しあって、見事であった。
それぞれ顔もスタイルも異なる花は、互いに強調し合って個性を引き立てているのであった。レア、異種が交わることによって存在感を際立ててるのであった。
帰り際に、引き込もりになっている信者の話を牧師と交え、彼も自分が変わっていることの価値を見出せるようになったら、良いですね、と伝えた。その日の説教はキリストが磔刑に処せられる場面であったが二人の強盗犯といっしょに磔にされたことに驚きをもってきいていた。
キリストもレア中のレアである。
自分が変わり者であることを気にしてはいけない。変わり者であることに価値があるからである。