ブログ - 20240315のエントリ

キリスト教への考え

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-15 7:55

  昨日は、草刈り機の刃を替えて、草刈りをした。七百坪の十分の一ほどの草であるが、刈ってみて、この調子で全部刈れると自信がついた。刃を変える時に手間取った。刃のそばにある穴に棒を入れてロックを外さないとボルトが回らない。穴を見つけて、入れてレンチを回すが回らない。不器用で勘の悪いおれは認知症も加わって、試したが出来ず、いつもに園芸店に持って行った。男の店員は二人とも出払っていて、はじめて見る若い女が出て来て、二人で草刈り機の穴を探した。穴さがしも大変やねえ?とからかってやろうか?と考えたが、セクハラにあたるのではないか?と思って、黙っていたが、彼女は目ざとく穴を見つけ、ボルトを外してくれた。穴がじつは二か所あったのであった。

 金を払おうとしたら、要らないと言うので助かった。

 帰宅して新しい刃を入れると、気持よく草を刈っていくではないか!

 大喜びして、日が暮れるまで刈っていった。日本酒のコップ酒を飲みながら、刈りあとを見た。春草は柔らかいが、粘りがあって一メートルも伸びていた。

 草は刈ればまた伸びる。それで生きている。

 仲間のクリスチャンがメールを送ってきて、神のことについて聖書の言葉を引用しているがわからない部分がある。そこでキリスト教について考えた。聖書の中には原罪をはじめとして、滅びの箇所がある。創世記の原罪の部分であっても、人が神の言葉をきかないので死ぬ運命を与えたということであり、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、エリコの壁など神が人を滅ぼすのである。そうして悔い改めを求め、信仰によって天国を求めさせる。

 生命の繁栄には亡びが必要なのである。だから、良いとか悪いとかのことではなく、原理としてそうなっている。ウクライナ戦争だって、なんであんな戦争をやっているのか?不思議に思いながらも、二年間がすぎ、これから先もつづくのである。繁栄には亡びが必要なのである。おれももう、何年間の命である。

 

 

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