ブログ - 20230730のエントリ
自分は小学校に入る前、父や母の部屋に入ってあらさがしをするのが楽しみであった。高校の教員を務める父の部屋の、引き出しの中からエロ雑誌を発見し、黒い陰毛を見せた裸女の白黒写真を見て、興奮したものであった。母の部屋の引き出しからは乾いたゴム状のものが出てきて、幼いながらそれが避妊具(ペッサリー)であることを知ったのであった。また、婦人公論と言う雑誌があって、そこには性行為について詳しく書かれていて、夢中になって勉強したものであった。
母の引き出しの中に口紅を発見し、口に塗って自分の顔を鏡で見たこともある。女みたいですごくかわいかった。小学校に入る頃には男と女の生理がわかり、夜中になると家を出て近所の若夫婦の部屋を覗き込んだりするようになった。友達からは、女みたいだ、といわれ、高校では女と呼ぶ者もいた。
オカマと呼ばれる世界があることもわかってきたが、積極的に参加しようとは思わず、女にだけ執着していた。
今の時代、LBGTという言葉があらわれ、性について過敏になり、男女のトイレの仕組みをどうするか?が論議され,その法案まで作られ始めている。性差についてのおうようさがまったくなくなり、デジタル的な解釈しか出来なくなっている。すごく住みにくく、言葉のだすのにもすごく慎重でなければならなくなった。
量子力学の学者・シュレディンガーの言葉を思い起こしてみたい。毒ガスの出る箱に閉じ込められた猫は死んでいるか?生きているか?を問われて、生きてもいるし死んでもいるとこたえたのであるが、物理学者がどちらともつかない言葉を出したこと自体が驚きである。
物事は白か黒か?ではなく、白でもあり黒でもある、それは灰色とものではないという分野があっても良いし、無ければこの世の動きや人間心理なんて説明できはしない。北海道・ススキノの殺人事件であっても加害者も被害者も、どちらも加害者であり被害者なのである。
修容疑者と警察側はこの暑さの中で、知能戦を繰り広げているに違いない。修容疑者は娘が殺人容疑で逮捕されたとしても彼女が精神障がい者である、つまり心神耗弱者であることを理由に不起訴になり、刑を免れることを想定しており、娘も自分が多重人格であり、ちがう人格が行為に走らせたと言っているのである。逮捕後のストーリーをあらかじめ組み立てていたのであろう。修容疑者が殺人の共謀共同正犯として刑を受けたとしても初犯であり、直接手を下していないから執行猶予になるであろう。そして、事件が世間からさめ始めた頃に出所し、社会復帰をすることも考えているるに違いない。
でもなぜ、首を切り落とし、自宅の浴室に保管するkとになったのであろうか?
娘が被害者に襲われ、動画にとられたことが情報の中に混じっているが、娘のプライバシーがからんで事実は伏せられている。
被害者は憎しみではなく、口封じのために殺されたのではないか?世間に絶対知られてはいけないことを娘の口から知り、修容疑者はそれを封じるために殺人を意図したのではないか?
被害者は女装趣味があって、化粧や服装も女装していたというが、これは女装が趣味だというのではない。異性の下着や服を身に付けることで相手とセックスをし、相手と一つになる快感を得ているのである。。女性にもその趣味はある。
それに娘は被害者から襲われたと言っているが、逆に好意ももっていたにちがいない。だから、ホテルに行き、殺し、殺すことで自分の物にした。そして、三週間近くも浴室に置いて、同居したのにちがいない。この事件をいろんな角度から想像してみると、まさに事実は小説より奇なり、で想像力を膨らませてくれる。