ブログ - 20230709のエントリ
200坪の空き地の管理をまかされていて、年に三度は草刈りをする。三日前に、今年初めての草刈りをし、三分の二ほど刈り終え、今年も全部刈れるという自信がついた。平地なので刈りやすいいが、草は二メートルも伸びていてまわり四軒の家の迷惑になっていた。特にセイダカアダチソウなどは草地を軍団みたいに占領しており、そのうちその誰かが役場に苦情の電話を入れると案じてもいたのであった。
晴れたり曇ったりの梅雨の天候なので、雨が降り出すと、草刈り機を車に積んで家とを二度も往復した。十分も刈ると、少ない日陰を見つけて座り、ペットボトルの水を二本分飲んだ。ツナギの作業服は汗まみれになり、水はおいしかった。
どの草地もそうであるが、きれいに刈り終えたとしても二か月も建てば元どおりの草地に復元するのである。なんのために草刈りをするのかわからなくなってしまう。草の種は土の中に無限に隠れているので草刈りの意味はあまりない。冬になればすべての草は枯れてしまうのであるから。
人にとっては迷惑な草であるが、酸素を出し炭酸ガスを吸って自然環境を維持してくれている。草がなくなれば自然・地球は崩壊してしまうのである。自然の復元力であり、生命の復元力である。だが、除草剤をかけて草を退治する者がいるし、メーカーは害はないあるいは低農薬だといって売ろうとしている。
動的平衡の観点からみれば動的平衡の状態とは復元する前の準備期間みたいなものである。波の打ち寄せみたいに押したり引いたりをしながら動いているように見えながら、実は上下運動を繰り返しているにすぎない。
人間社会もそうである。
古代からみて今は立派な民主主義がうまれたようにみえながら、実質は古代と変わらず権力者を頂点にするピラミッド型でしかない。欧米の民主主義もロシアの独裁帝国主義も中味は同じである。それが緩やかなのか?急角度なのかのちがいでしかない。
この世は動的平衡を繰り返しながら、上下運動を繰り返しているにすぎない。