ブログ - 20230708のエントリ
動的平衡という言葉は、およそ15年前に福岡伸一氏の本を読んで感動したのであるが、今になってそれが一つの哲学であり、いろんな分野に適用できると考えるようになった。わかりやすく言えばこんなことである。人間の体は左右対称形で重量においても左右が同じである。そうでなければふらついてまっすぐ歩くことも走ることも出来ない。人間以外の動物もとうぜんそうであるし、植物であってもまっすぐ立つことができないし、真っすぐ立てなければ養分や水分の補給が偏ってしまい、成長の維持ができなくなる。
福岡氏は動的平衡を生命体に限定してるようであるが、生命体に限らず、動きのある物質世界においても同様なのである。車や惑星であっても、左右が同じ重量でなければ走ったり回転したりできない。
物理学では静電誘導という現象を学ぶが、エボナイト棒の両端を擦れば+と−の電気が発生し、それは等量なのである。エバナイト棒を輪切りにしても同じ量である。
宗教の世界もそうである。神を持ち出す条件としてサタンがいるし、サタンと神のエネルギーは等しく時にどちらかが勝つこともあるがどちらとも消えはしない。二項対立による平衡が事物の存在の必須条件になる。
人間世界もそうである。ウクライナ戦争の根幹は米ソの対立である。独裁国家・サタンと民主人権国家の二項対立であり、その力量はいまのところ、等しくて平衡状態をたもっているようだが、それは一方が勝ち、他方が負ける嵐の前の静けさなのである。平衡が破れれば、しばらく平衡状態がつづき、次の対立分野に入っていく。それは、正、反、合の弁証法でもある。
人間の感情の世界もそうである。愛したり、憎んだりしながら、人間関係は変化し、水の流れはたえずして同じ流れにあらず、である。同じ状態がいつまでもつづくことはありえない。悪い状態は良い状態になり、悪い状態は良い状態になるのであるから、悲観することはない。
アリの世界では3割が働かないと言われているがそれは非常時の時の余裕であり、戦争にでもなれば働くようになる。人間界においても三割は働いていないが、それも非常時の時のクッションである。
動的平衡の哲学を使えばほとんどの現象は理解出来そうである。