ブログ - 20230128のエントリ
今日のヤフーのニュースで、見た目の判断は差別か?と言う記事が載っていたのでこのブログを書く気になった。近頃は、差別やセクハラに対して過剰に反応する傾向があり、わたしは疑問に思っていた。このまま進んでしまうと何も言えなくなり、書けなくなるかもしれないのである。ドラマや小説が面白くなくなったのは出版社や読者が過剰に反応しているからでもある。
背の高い低い、色が黒い白い、などの表現よりも、その下のひそむ意識、感情の問題なのである。ということは意識や感情を持ってはいけないのか?ということになる。そんなことはない。もしそうであれば人間であることも否定しなければならなくなる。
それより、背が低いことはい悪いことであろうか?人間の体や自然一般そのものに違いが出来ることは当然であり、それを否定するならば単細胞の時代に帰るしかない。そこで皆身長の同じ人間が出来たとする。すると背が低いという判断基準さえなくなるのである。価値基準さえなくなり、衰弱してしまう。単細胞生物の世界がそうである。
差異はエネルギーを生む生命の根源なのである。否定はできないし、優劣の基準で判断してはいけない。優劣で判断するから差別に通じるのである。