ブログ - 20230103のエントリ
霊感商法による被害者のことがいつも取り上げられるが、ちがう観点からみてみたい。どちらが良いとか悪いとかは外しての話である。物事を信じやすいタイプの人がいて、振り込み詐欺でもなんにでも取りつかれてしまうタイプ、またその時の心理的背景である。
わたしがNHKの受信契約の仕事をしていた時のことである。訪問先のほとんどの人は気安く金を払い、契約書に印鑑を押してくれた。なぜ払わなければならないのか?と聞く人は少なかった。わたしはこんなに簡単に印鑑をつき、見知らぬ男に金を払っていいもんか?と驚いた。中には目が悪いのでと言って、通帳を持って来て押印署名をしてくれと言った老人もいたのである。こんな人にとってはオカルトの勧誘をする方は楽である。もちろん彼らはオカルトと考えて、勧誘はしないはずであるが、その世界に引き込まれた以上引き返しが出来なくなった人間である。
最初に引き込まれたのは創価学会である。当時は折伏の全盛期であった。アルバイトでしり合った男に誘われて民家の集会に行った。そこで聖教新聞を読まされ、ドモリながら読んでいると、なぜ言葉がもつれるのか?先祖の祟りではないか?と言われ、入会してしまった。が、一か月後に経文を川に投げ捨てた。
次は統一教会である。若者たちが、一人住まいであったアパートの部屋に来て、毎晩キリスト教の話をしたが、遠い世界のこことしか思えなかった。中に、きれいな女がいたので、教会に行って皆で手作りのカレーライスを食べたが水っぽかった。けっきょく、入会しなかったが、中村さんを落とすのは大変だ!という言葉を残して来なくなった。
次はエホバの証人である。
毎週、個人レッスンをしてくれたが、テキストには聖書に関する質問と回答がそなえてあり、その通りにこたえなければならなかったのに、わたしは個人的な見解ばかり言い、この会を利用していると言われて通わなくなった。また、聖書に書いてあることは100%が真実だという見解にも賛成できなかった。
次はプロテスタント系のキリスト教会である。神父が神学部を出た男で、聖書は物語的に書いてあるという言葉に賛同して一年以上通った。古くからの信者が私の献金額が少ない、と言っていることを耳にしてやめた。プロテスタントは従来の宗派が教会の独善に走っていることを知って改革のために立ち上がったのにこれでは同じことではないか?と考えた。
今、通っているのはプロテスタント系であるが、ここで私は新しい発見をしたような気持になり、満足している。つまり、人の体には神が生命力として宿り、護ってくれていていっしょに生きているという実感である。
自分が信仰に目覚めたのである。
夜が明けても、庭はいつまでも明るくならない。夜は明けないのか?と、布団の中で不安になる。
いつものように胃が少しムカついている。酒の飲み過ぎで胃をやられ、壁が薄くなってうづくのである。一年間も胃薬を飲み、酒はひかえているのに一向に良くならない。慢性胃炎であろう。ところが胃の中のもう一方の壁はグーと鳴って朝飯を要求しているのである。内臓は自分の意志では動かないのでもしかすると神の意思が入っているのでは?と考えたことがあったが、神であればどっちつかずの判断はしないはずである。
今日は13時からカート整理のバイトだから、もう少し寝ようと思っていると、左脚のふくらはぎがチクりと痛んでいる。ヒッツキ虫がズボンにくっついたまま、早く取り外せ!と叫んでいる。そうしないといつまでも刺し続けるぞ!と叫んでいる。手を伸ばしてもどこにいるのかわからない。ヒッツキ虫は遠くに行ってそこで芽を出さねばならないのである。
ヒッツキ虫にはさんざんやられた。庭の草刈りをしているといつのまにかズボンにつき、部屋の帰って横になっている時に体を刺し、取り外させようとするのである。賢いやつだ。
そんなことに気をとられていると布団の中にいるのがいやになり、起き上がり、トースターに食パンを入れることになるのである。