ブログ - 20220326のエントリ

一撃必殺は核保有である

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-3-26 7:40

  およそ五十五年前、東京の大学に入学したとき、世の中は熱気に燃え、毎日がお祭り騒ぎみたいだったと言っても過言ではない。経済の高度成長期が尾を引き、安保反対!国会解散!の怒号が渦巻き、町中で男が殴り合いをし、公園では男と女がキスしている光景などもよく見かけられた。セクハラ、パワハラなどの言葉もなかった。

 第三志望校にしか合格しなかった後悔はあったが、さて大学で何をしようか?という意気込みはあった。探検部、武術部、政治闘争など頭の中にあったが、空手同好会が目に止まり、入ってしまった。同好会であるからそれほどひどくはないだろうと考えていたが、それが甘かった。掃除もしていないような汚い校舎の屋上はコンクリートがむき出しであったが、そこが練習場であった。砂利道に両手のげんこつを当てて歩き、そのげんこつで樫の巻藁で叩き、血まみれになるのは当たり前であったが、練習後にベランダに整列させられ、みぞおちを思い切り叩かれて、気を失ってしまった。おまえらが可愛いから鍛えてやる!と二年坊は言ったが、毎週、やられた。

 退部しようとしたら、眉毛をそったり、金を取られたりした。まるで暴力団の世界で、どうしたわけか、その大学は東京六大学の一つに名を連ねているのであった。

 わたしはすっかり変わった?というより本来の性格がむき出されていったのであろう。酔っ払って、すれ違いざまに、歩いてくる者にケリを入れたり、人がそばいるとどの部分に一撃必殺をいれてやろうか?と想像したりするようになった。

 それから、五十年後のウクライナ戦争である。ニュースで見ると、ポーランドへ歩いていく難民の姿が映し出され、この前は親が死んでしまったのか、あるいは親に取り残された幼児が一人ぽっちで悲しげに、歩いていた。飢え死にする自分の未来を悲しんでいるようであった。この場面は忘れられない。

  そして、ウクライナ・ロシア戦争が起こっているさなかに、ロシアが北方領土で軍事演習をしたり、津軽海峡を軍艦で渡ったりし始めた。これみよがしと言わんばかりに脅している感がする。日米もそのあたりで軍事演習をするのであるから、お返し、といえばそれまでであるが、ウクライナ戦争を契機に世界は代わり、日本は軍備を持つべきだという議論がおこりそうである。

 そこで、考えた。

 一撃必殺の技を身につけた自分はそれ以来、なんどか喧嘩をしたが、その技を使うことはなかったし、相手もそれを知ってか戦いに向かっては来なかった。暴力行為で警察の世話になったこともなかった。

一歩踏み違えれば殺人行為になるのであったが、その技を使うことは自殺行為であることを知っていたので、正当防衛の形にならなければ用いないことにしていた。

 これは核武装の論理に似ている。使えば自殺行為に等しいのである。絶体絶命のときにしか使えない武器なのである。

 当然、これくらいのことは核抑止力の中で議論されているであろう。が、戦争反対ばかり叫ぶ平和主義者たちもそろそろ考えなければならない時期になったのである。

 

 

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