ブログ - 20180526のエントリ
今のトイレはすっかり美容整形されて、まるでレストランさながらであるが、四、五十年前は甘酸っぱい尿の匂いとウンチの臭いのする便所であった。小便をする場所は仕切りはなく、コンクリートの溝に放出され、尿が茶色になってこびりつき、生命の営みを露骨に現していた。
落書きがあちこちの壁に描かれていて、ほとんどが女性器の絵や卑猥な言葉、中傷、憎しみ、愛、淫靡な言葉にまみれ、まさに人生劇場を醸しだしていた。わたしにはすごく懐かしいと同時に、(古き良き時代)として心に残っている。
傑作は大便室の前の壁に生まれていた。男が屈んで女との性交を思い出し、あるいは渇望して描いていたにちがいない。孤独と豊潤な感性が産んだ生々しくも刺激的な絵、文章であった。よくもこんなに精巧に描けるものだな、と感心するほど、女陰の姿を、大陰唇、小陰唇、クリトリスなど生々しく描き、本物の絵画に負けないリアリティと力量を見せていた。女の裸体のデッサン、性交絵など生き生きと描かれていて、作者の熱意はラスコーの壁画を思わせるほど、素晴らしかった。黙々と含み笑いをしながら若者が描いていったにちがいない。彼らの中から画家が産まれたかどうかは知らないが、セックスの体験話も面白く、便所に入る楽しみを与えてくれていたのだった。
便所以外、暗渠やトンネル、通りの壁なども落書きをされ、人生劇場を現していたが、今では落書きを見つけることが出来ないほど、消えてしまった。淋しい気がする。セクハラの出来事が氾濫し、社会が自分たちの首を絞め、委縮してしまっている。
老男たちがすっかり、(男)を失っている。ある老男が妻の体に迫ると、(あんたは汚いからそばに寄んなさんな)と拒まれたり、(好きな女が出来た)と言うと(浮気が出来るるならしてみなさい)とあしらわれたり、(カラオケ教室に通いたい)というと(そんな金のかかることはしてはいけません)と言われ、パソコンのエロ動画を見過ぎて、ウイスルスに入られて画面が真っ黒になったり、そんな情けない身内話をよく耳にする。女難どころか男にとって絶望の時代であるが、レア・中村はそんな時代と闘う姿勢は失わないつもりです。(あなたは今の時代に生まれて来るべき人ではなかった)、会社に勤めていた頃に言われた言葉を思い出します。