ブログ - 20180507のエントリ
週に二度、キリスト教会に通っている。説法を聴き、賛美歌を歌い、アーメンを唱えている。私をよく知る親友など、そのことを知れば、(お前みたいな男が?狂ったのか!)と言うであろうが、わたしにとっては聖書と信者達の研究なので、すごく有意義で充実している。
その教会では男はスーツにネクタイ姿、女はスカート姿と決められている。神と会うからにはきちんとした服装で来るべきであるという考えなのである。わたしはいつものツナギの姿であるから人目を惹き、(あれは中村さんだ)とすぐにわかり、優しい笑顔を向けてくれる。わたしは女たちを観察している。若い女もいれば老婆もいるが、みな、スカート姿なのである。こざっぱりしたのや少し派手な服装もあるが、そろって彼女らが魅力的に見えるのである。聖書には、性欲を抱いて女を見てはならない、という言葉があるので私の存在などサタンであろうが、セクハラが取りざたされる今の時代において少し考えさせられる。つまり、注目されること、見られることを望んでいる女の気持ちなのである。あるいは手を握られたり、肩に手を回してもらいたい期待感なのである。それが彼女ら(男だってそうである)の気持ちを占め、美しい輝きを放つのではないか?ただ、相手の男が嫌いであるからセクハラになるのであろうが、セクハラを単なる犯罪行為と見做してしまえば男は委縮し、文化も社会も委縮し、衰退してしまう。性欲は美的感覚を育て、エンネルギーの根源なのである。