ブログ - 20171028のエントリ
DV,レイプ、セクハラ、パワハラ、イジメ、暴言を始め、過労死も含めると、その言葉は反暴力を意味し、時代は反暴力の周期に入っている。4,50年前までは暴力の時代であった。学生運動の機動隊に対する火炎瓶、投石、ゲバ棒闘争、全共闘内部のリンチ殺人、大学の運動部のシゴキ殺人など今では考えられない時代であった。最後は浅間山大量殺人事件で終わった。街並みでは肩が触れたというだけで因縁をつけた、といって殴り合いが始まった。プロレス、格闘技、ボクシングなどの全盛時代でもあった。
わたしは大学の空手同好会に入っていた。同好会だから軽い練習だと考えていたのが大間違いであった。腕立て伏せの姿勢で拳骨をコンクリート面に押し付けて地面を張ったり、巻き藁を拳骨で叩いて血まみれになったり、一撃必殺の訓練であった。武具をつけない実践の試合もあり、一つ間違えば死が待っていた。練習が終わると、先輩の胴着を畳み、お茶を入れ、食堂に行って給仕をした。週に一度のシゴキがあった。(てめえら、ちんたらちんたらしやがって先輩に対する態度がなっとらん!)と二年坊の小田切の声の元に、歯を食いしばれ、腹を締めろ!と言われ、整列させられた13人余りの新入生のみぞおちが正拳で殴られ、隣の者のうめき声が聞こえると、わたしの体全体に痛みが走った。
(おめえらが可愛いから強くなってもらいたいんだよ)もう一人の二年坊が言った。
入部した初めの頃は血尿が出ていた。
3か月ほど経つと、わたしの気分は人に近づく時、大幅に変わっていた。授業の教室に入るとテンションが高くなっていて、私の言葉に反論する者に眼を向けると、相手は黙り込んだ。電車に制服姿で乗っていて、襟の空手のバッチを見詰めるるサラリーマンを見返すと相手は視線を外した。人とすれ違う時はこの態勢から後ろ蹴りを食らわせば相手は倒れるだろうと予測したり、周りの者が仮想的になることがあり、コンパで酒に酔ってすれ違いざまに通行人に蹴りを入れたこともあった。仮病の診断書を出して、6か月ほどで退部したが、その際に退部金を払わせられたり、片方の眉を剃られたりした者もいた。
今、この片田舎の町通りを歩いていると、爺さん、婆さんたちが呆受けたような顔で歩いている。幸福なのか不幸なのかわからない顔で、よろけそうに見える。その中の一人がわたしなのである。
学生運動の始まる二十年前には太平洋戦争があり、何百万にも日本人が死に、外国人も同じであった。世界的に見ても戦争は2,3十年の周期で起こっている。
台風や地震、火山の噴火と同じく、人間社会の戦争、暴力にも周期がある。北朝鮮が戦争を起こす気配を見せているのはその一つであろう。戦争や暴力はエネルギーの一つであり、無くせないもであるから、構えと備えを持つべきである。