ブログ - 20170421のエントリ
私が大学に入る時、法学部政治学科を選んだのは政治の外交関係が社会の人間関係と酷似していると読んだからであった。私は感情の起伏が激しく、人間関係が苦手であり、今でも人から嫌われるタイプである。政治学も人間臭い世界であり、その実態を分析し、知ることで、社会の人間関係のヒントを得られるのではないか、と期待していた。入学時は学生運動の最盛期であり、学園封鎖、ストライキ、リンチ殺人など日常茶飯事であった。
ひ弱なタイプのわたしは体を鍛えようと考えて、空手同好会に入ってしまった。同好会だからクラブよりは楽だろうと予想したのが間違いであった。血尿が出るほどの練習の後にはシゴキが待っていて、整列させられ、二年坊からみぞおちを十回以上も殴られ、気絶してしまった。一撃必殺の世界であった。自分を逞しくしようとしていたベクトルは完全に崩されてしまった。
通行人とすれ違う時、どこを殴れば一撃で殺せるかと、狙いを定めるような人間になってしまったし、どこから殴られようとすればどのように先手を打つべきかと考えるようになってしまった。
なぜ、こんな個人的なことを書くのか?と思われるであろうが、核やミサイルで日米・韓を脅している北朝鮮という特殊な国のことを書こうとしているからである。自分の青春時代とどこか似ていて、理解出来るのだ。北朝鮮は米日・韓の攻撃から自国を守るための闘いだ、と絶えず言っている。一時私は自国を正当化するための詭弁ではないか?と疑っていたが、朝鮮の近代の歴史を振り返ってみればまんざら詭弁ではない、と思う。中国、日本、アメリカに一時占領された苦い経験は日本人には理解しにくいであろう。
わたしは空手同好会を四か月で辞めた。医者に診断書を作ってもらい、逃げたのであったが、20年間以上、リンチの悪夢に怯えながら寝たのであった。こんな被害妄想が北朝鮮にないはずはない。
わたしは平和主義者ではないし、戦争はなくならない、と考えているが、北朝鮮と日米・韓が互いに被害妄想ばかりに陥って、相手の攻撃性をますます強めるばかりではなく、歩みよって、開放政策をとり、北朝鮮の国民に金王朝を取るか民主主義を取るか選ばせる方が得策ではないかと考える。