ブログ - 20160603のエントリ

睡眠中の夢は誰が脚色するのか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-6-3 6:09

 昨夜、オカシな夢を観た。大学生たちとイベントの準備のため、集まり、わたしはまな板の上で大根の塩漬けを包丁で刻んでいた。彼らは誰も手伝わず、友達としゃべったり、刻み方に文句を言ったり、非協力的であった。わたしは腹を立て、刻んでいない塩漬けを口の中に入れ勝手に食べ始めた。

 昨日の夕食はチャンポンを作った。すごくおいしく出来て、満足していたが、四分の一カットの白菜を刻みながら、それを70円以下で出荷する農家の人に気の毒さを覚えていた。わたしも産直店に出しているので、クレームが来たり、売れ残りを引き取りに行ったり、嫌になることは何度もあった。

 昨年、福岡教育大学の(日本事情)の公開講座に参加した。留学生たちがほとんどを占めていて、楽しかったが、女講師と一部の日本人女学生には不快感を持っていた。女講師はわたしが自由討論や質問の場で自分の意見を長くしゃべったりするので、自分だけでしゃべらないでください、と言った.

班の討論会ではまた同じことを私に言った。実はだれもがしゃべらないのでわたし独りがしゃべることになったのだが。レポート提出を義務付けられていたので出したが、評価はどうですか?女講師にたずねても、うん、と言葉を濁したまま返事をしなかった。各班の討論内容を発表することになっていたので、準備のために講義開始の前に集まって打ち合わせをしよう、と言っても学生は二人しか来ず、班がちがう班に合併されたり、講座に来なくなった学生もいた。発表の場は一人の受け持ちが二分間という持ち時間であった。わたしは(美の発生)というテーマで話し始めたが、終わりまで話さない内に、女子学生から、時間です、と言われ、体を突かれた。

 上記の二つの出来事が重なり合ってあんな夢を観たのである。合理的に理解は出来るが、誰がどんな理由でその二つを結び付け、夢の舞台を設定したのか?ということに疑問を抱いた。大学の広場で学生たちがバンド演奏をしていたり、大学祭を開いて賑やかな場を楽しんだりしたことは事実であり、そんな体験が夢世界のイベントになったのだが、誰が現実体験を夢ドラマに仕上げるのであろうか?精神分析では、それは無意識だ、と答えるであろうが、仕上げるには意志と意図が必要である。ユングは偶然の必然という考えを持っていたが、なんらかの必然性があったのであろうか?偶然であったのだろうか?

 追体験したいという願望と不愉快な気持ちが入り混じったのであろうが、それにしても印象深い作品であった。異次元宇宙での光景が重なり合い、過去の出来事は違う宇宙で生き、進行しているのかもしれない。

 夢とは不思議な世界である。

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