ブログ - 20160110のエントリ
文化人類学者の書いた本に次のような一節があった。雄ゴリラが雌ゴリラに求愛する時、雄はバナナを両手に抱えて持ってくる。雌に差し出す。雌は喜んで食べる。雄はその背後に回って雌の体を抱き、交尾をする、と言う。雌はバナナをむしゃむしゃ食べながら、体を任せてると言う。なにか人間社会に通じていて面白く、その一節は強く印象に残っていた。
新年会に馴染みのスナックに行った。カラオケを歌い、赤飯、焼酎のお湯割り、コーヒーなどいただいて、千円だからママは商売抜きの営業であった。わたしと不仲になっていた初老女が店に入って来た。少し酔っていたわたしは手を挙げて呼び、わたしの隣に座らせた。お互いに言いすぎた言葉を詫び、仲を取り戻した。
?新年はねえ、三人の息子、娘、その孫たちを呼んだのよ。正座させて座らせ、婆ちゃんはねえ、今年こそ、・・の名前を捨てるから覚悟しておきなさい。
彼女は私に言ったので、おれはその候補者に入ってるよね?と言うと彼女は返事をしなかった。主人と死別し、遺族年金で生活していたが厚生年金基金がなくなることをきっかけに(再婚声明)を出したのである。73歳になり、孫が5人もいるのになんとも逞しい女である。近頃では珍しくないが、彼女は5年前に初めてそのスナックを訪れた時、ママにいきなり、良い男がいたら紹介して!と言ったのだからママも驚いていた。それから五年間あの男、この男と良い仲になり、自ら性行為も含めてしゃべり、噂を撒き散らした。どの男とも結ばれず、男にはコリゴリした、と懺悔していたのに、新年のこの声明である。
わたしも彼女に似た男だがその逞しさには勝てない。わたしは68歳であるが、生きるのが面倒くさくなっている部分がある。彼女はサプリメントのマルチ商法に手を出したり、女友達を招いて部屋の中にいつも花を咲かせている。(姥桜)である。
わたしも(女にコリゴリ)しているが女への夢は捨てきれない。エロ・ビデオで寂しさを紛らわせながら、作品の構成やリアリズムを学んでいる。小説作法と共通しているから学ぶべき部分も多い。
(年明け宣言)を出した女とわたしはどんな年を迎えるのか、期待もこめてウオッチしていたい。