ブログ - 20150319のエントリ
明治時代以前は、天皇など高貴な人が死ぬと(お隠れになった)という言葉を使った。その言葉を思い出すと、すごく興味深く日本という国の魅力をおぼえるが、それは自分が(お隠れ)になる年を控えているからであろう。何年後になるのか予想はつかないが(死ぬ)のではなく、(隠れる)のであればどこに隠れるのか(かくれんぼ)をするような期待感もある。蛇足であるがこの町の海岸べたに(かくれんぼ)というラブホテルがあり、よく利用させてもらったからそこに隠れることが出来れば幸福だと思う。
量子力学や超ひも理論ですでに証明されているように異次元世界は存在している。私達にはそれを受信できる受信機(テレビ)がないために見ることは出来ないが、わたしは心臓のバイパス手術後のせん妄状態の中で体験した。(観察室)という病棟のベットに寝ていたのだが、出入り口の先に公民館の受付窓口が見えた。茶色い板張りの壁に掲示板が見え、盆踊りの練習やソフトバール大会への誘いのポスターが張ってあった。わたしは確かに見たのだ。母の実家の近くを仕事で戸別訪問した後、公民館はどこにあるのか考えたことがあったのが原因だろう。
ところが白衣姿の看護婦達が何人も行ったり来たりしていて、おかしいな?と考えた。何日か後にいつもの掃除婦が来て、床のモップがけを始めたので聞いてみた。この近くに公民館はありますか?と。掃除婦は不機嫌な口調で、ありません、と答えた。わたしは自分の脳がおかしいと判断し、それに似たせん妄を一つずつ確認し頭の中を修正していった。
今ではもうそんな譫妄はないが、明け方に目覚めかけた頃、布団の周りを見回して人の姿をみることがある。パソコンデスクや束ねられたカーテン、ハンガーにかかったツナギ服などが人の姿に見え、恐くなることがある。妄想と現実が重なり合っているだけかもしれないが、異次元世界が見えたのかもしれない。パソコンの画像でも縮小し重ねることができるのである。
異次元世界をはっきりさせなければならない時代にきている。