ブログ - 20131104のエントリ
いつもの山道を40分も散歩すると、集落の家の前を通りかかる。キジ模様の土色の猫がなんともオカシナ顔で私を振りかえる。決して飼い主に飼われるような可愛い顔ではなく、やはり野良猫特有のふてぶてしさと警戒心がある。ゴチャゴチャした模様の顔である。わたしが近づくと逃げることもなく、寝転んでは体を路面に伸ばして。背中を捻り、まだ乳を含んだ乳首のならびを見せる。体を撫でようと手を伸ばすと立ち上がって遠ざかる。近づくと寝転んで腹を見せる。うまくタイミングが合えば体を触らせ、気持ち良さそうにしている。
近所の人から餌をもらっているのであろう、荒んだ顔だが逃げることはない。空き家を住処にしていて、その玄関先にいることが多い。
わたしが顎や腹や背中をじゅうぶんに撫で回してやると満足げに横たわっている。別れようとその場を離れていくと、ヤブの中から黒の子猫たちが現れて母親の乳に寄って行った。
野良猫の姿も最近は見かけることが少なくなった。(野良)の語源を想像してみると面白い。野を良しとする猫、なんとも風流な言葉ではないか。捨て猫、と呼ばれるよりはるかに良い。世捨て人、という言葉はあるが、放棄人、などという言葉はないし、もし現れたら恐い世の中になっているであろ。私の青春時代にフーテンという種族がいて野良猫に近い生活をしていた。髪は伸び放題、髭も伸び放題で街の街路樹の下あたりに座っていて、小銭が空き缶に投げられるのを待っていた。今では信じられない光景だが、彼らは一つの風俗に属していて(瘋癲、風転)と呼ばれていた。