ブログ - 20121106のエントリ
尼崎の大量殺人事件がマスコミに取り上げられているが、事実関係は少しずつ明らかにされていくであろう。64歳の容疑者が身内を監禁しあるいは一派の身内を使って監禁させ、暴力をふるって金を脅し取っていたという、特異な事件である。他人が対象であるなら理解も出来るが相手が身内であるということが理解できにくい。脅迫されそうになったら逃げれば良いのにと思うが身内同士の関係が出来ていてそうも出来ないのであろう。
わたしはそこに加害者と被害者の共感関係(?絆)を感じ取る。それは(きずな)なのである。殴ったり殴られたり、イジメたりイジメラレたり、議論で攻撃したりされたり、加圧と負圧の物理的関係がそこに生じる。人間は物質で構成されている以上、そこに社会規範である(暴力は悪であり、いけないことだ)という考えあるいは殴られた腹立たしさとは別の親和力が生じているのである。触れ合ったことによる物質(原子や素粒子レベルにおいて)どうしの親しみが生じ、離れられなくなってしまうのである。わたしは労働組合の役員をしていて、ある管理職と団体交渉を何度もしたことがある。激情型の性格であるからここでは書けないようなことを言ったが、その管理職は転勤の際にお礼状を送ってきた。わたしは驚き、彼を尊敬した。(あなたは管理職としてふさわしくない)などと人前で何度も罵倒された彼を(腹があるな)と認めなおし、電話を入れたり、年賀状も送るようになり、他の管理職よりも親しくなったのである。
電車の中で痴漢をうけそうになった女性がいつまでも加害者から離れなかったり、チンピラから因縁をつけられた者がその(磁場)に取り込まれたりすることがある。こんなケースの場合は被害者と加害者の共感関係にあるという原理を用いないと説明ができない。こんな話を聴いたことがある。山奥を歩いていて、ある光景を見た。傷ついた小鳥が飛ぶことも出来ず逃げようとしていた。マムシに追われて、足を引きずりながら必死でヤブの中に逃げようとした。マムシは舌をチョロチョロさせながら体をくねらせ、迫ってくる。
小鳥は逃げていたがいつの間にかマムシのほうに寄っていき、ついに口の中に入ったという。
尼崎の大量殺人事件の関係者達はこの(磁場)の中で(きずな)が出来上がってしまったのである。そのようにわたしは分析する。