• カテゴリ 日記 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

ブログ - 日記カテゴリのエントリ

テレビの洗礼

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-1-17 9:07

わたしたちは産まれると母親の乳を飲みます。母親は子供の顔を見ながら授乳をしますが、それに飽きるとテレビの画面を見て笑いかけ、子供に乳を与えるようになります。まだ意識の育たない乳児でもそのことに気づき母親の存在よりテレビのほうに関心をもち、その世界を知り、親しもうとするようになります。テレビの洗礼を受けるのです。そこは苦労をしなくてもそしてこの世の真実を知ろうとしなくても、美味しい料理があり、素敵なパパとママそして美男美女が笑いかけるのです。いつも(ハッピイ!ハッピイ、!幸せいっぱい)の世界なのです。こうして学校教育を受ける前からテレビに向かって十字を切るようになり、その世界の信者になっていくのです。そのほうが迷いがなく、価値観も預託できて安心気楽なのです。こうしてテレビにコピーされた人間が大量生産され、体制の一細胞となって、キレイキレイ社会をつくり、自然破壊をしていることにきづかず、無農薬農業を標榜しながら田のあぜ道に除草剤をかける人間ができるのです。

歳をとり、死ぬ間際になり、病院に入っても隣の患者と人生や死について語り合うわけでもなく、イヤホーンを耳にあて、顔の傍にあるテレビを見ながら、世を去っていくのです。

デジタル・ファシズムの時代

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-12-31 18:25

現代をどのように捉えるか?ということになればいろんな捉えかたがあるでしょうが、私は3年前に(デジタルファシズム)という言葉を思い浮かべました。自分の考え事、人の話、新聞・テレビ・ネットの情報の中に数字が主導権を握り、為政者・マスコミが国民をマインド・コントロールし、私たちはそれの信者になってしまっている。数字のマジック、詭弁、欺瞞には空恐ろしさを感じ、実例をあげればきりがなくそんな手品に自分の人生が支配されてきたことがわかれば憎悪さえ沸いてくる。

(高齢者の犯罪が増えました)と新聞が報じていたが、その増加率は高齢者の増加率とどのように関連してるかの数字は出さない。高齢者の人口が増えれば犯罪の数字が増えるのは当然ではないか?

警察官の犯罪が増えたように報道してもいたが、それまでは彼らが前科者情報やガサイレ情報を流しているのは日常的であり、情報公開が義務づけられたにすぎない。テレビ番組の視聴率も首をかしげたくなる。その時間帯にテレビを切っている者の数字は入ってはいないから正確な数値ではない。

こんな報道の仕方では白を黒ということだって出来るのである。事実と真実はちがうのである。当局が都合の良いことばかり言いたければ都合の良い数字・事実を出せば良いのである。都合の悪い数字・事実は隠しておけばよい。

マジックによるこんな操作が東北大震災を引き起こしたのである。新しい時代は合理主義の思想を見直し、再検討しなければならないし、合理主義は偏向し迷信にもちかいものであることに気づかなければならない。時代や思想を大きく歪めてしまったことも。

 

 

支える者は支えられてもいる

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-12-4 21:09

支える者、支えられる者、あるいは被害者、加害者、あるいは支配者、被支配者、あるいは教祖、信者などにおいて私たちは対立概念を教えられてきた。ところが、支える者、支えられる者においてもわかるように支える者は支えられてもいるのである。(人)の形を例に出すとすると、支えられる側が崩れ落ちてしまえば支える方も支える対象を失って孤立し、崩れてしまうのである。物理学的現象である。

ある初老男は認知症の母親の世話をしていて、食事を作り話相手になって面倒をみている。母親はほとんど家の中にいるが、時には家の玄関と庭先を行ったり来たりして運動もしている。息子の帰りが遅いとふらふらと近くまで彷徨してしまう。現在、彼は母親を支えているように見えながら、もし母親が亡くなった場合支える対象を見失って自分を失うであろう。

ボランティア活動においては助ける側は助ける行為において相手より優位な自分の立場を実感し、安心するのである。だから無償の活動をするのである。これは慈悲とかヒューマニズムとか言うことより力学的現象なのである。

長年にわたって喧嘩ばかりしている夫婦がいる。亭主はツマが不倫をして出て行くか不慮の死にあえば良いと思っているのだが、ツマはいつまでも元気でささいなことで亭主を攻撃する。ある日、自転車をこぎながら買い物に向かっていた彼女が飲酒運転の車にはねられて死んでしまった。亭主はおどろきながらもチャンスがきたとおもい、願っていた再婚にかかろうとするが、喧嘩相手をうしなって意気消沈してしまう。

こんな意外な顛末になるのである。まさに逆説であるが、マスコミ報道や世間の見方をかえてみれば意外な真実がひそんでいる。

選挙の基本

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-28 2:52

遠賀郡で今反対運動が起こっている。現町長が次期の当選を狙って以前からストーリーを組み立てていたのだが、E駅南口開発の事業計画を持ち出し,建設業者に21億円の金をばらまき票をとって次期町長として居座ろうとしている。彼が言うように南口を開発し、金比羅山のノリを削って道路を作り、地下通路をもうけ、駅前広場をつくったとしても利用者はいない。わかっていながら彼は支持団体に操られているだけである。はっきりいってしそんなことはどうでもよく、納税者の懐から金をかすめとればいいのである。有権者の20パーセントが反対の署名をしていても操り人形は意に介しない。

反対運動を起こした女性議員がいて一生懸命に活動をしている。スーパーマーケットやE駅前で市民に呼びかけていて、無償の運動員が頑張っている。かれらは日当が出るわけでも交通費が出るわけでもなく、自分の主張を通してもらうためにビラを配り、開発の理不尽さの説明をしている。女性議員は町長選に出るつもりであるが、運動員は(これは女性議員のためではなく、自分のためであると考えている)から無償の行為ができるのであり、これが本当の選挙活動である、と考える。日本の場合、選挙活動に金がかかりすぎるからあとで取り戻そうとして(利権)に走るのである。

霊的世界

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-28 2:02

 わたしは恐がりやで、小学校の頃から夜トイレに行くのが恐かった。幽霊は本当に存在していて、部屋数の多い我がボロ家、そのトイレに夜遅くもちろん一人でだが行き用を足すことは苦痛であった。二年前、63歳のときだが、その時は小便をして便所からもどり自室に入る戸を開けた時、背後から右の背中を掴まれた経験をした。その感触はまちがいなかったのである。

物理科学に詳しい知人から、(霊とはエネルギーだよ)と教えられて、なるほどと思い、自分なりに考えを推し進めていった。(霊とはエネルギーの残りなのである)と近頃かんがえるようになった。例えば普通の生活でも談笑していた相手が去った時、その椅子にはその人の体温とか匂い、つまり余韻が残っていますよね。それがエネルギーであり、(霊)なのですよ。ある人が部屋で孤独死したとすればそこには(気配)が残っている、それが霊なのです。そう考えると別に特別なものではありません。

幻想、幻覚、宗教の世界も霊的なものである、と考えます。ある意味で人間の聴覚、資格、味覚などの感覚器官は幼い頃から世間常識に教育されて出来上がったものです。この臭いは臭いものである、とかこの味は美味しいものである、とか、この景色は美しいものであるとが、この曲は心地よいものであるとか、植えつけられたものにしか過ぎません。ある時、夢や半覚醒状況において物事を感覚器官を通さずに感じ取ったとき、その世界の臨場感、素晴らしさに驚かされてしまい、虜になることさえあります。それは既成概念に毒されない純粋世界なのです。この世界にはまった人が信者であり、それが私たち一人であっても不思議ではありません。

宗教のない時代はないし、宗教のない世界はありません。その意味でわたしは宗教を否定する気はありませんが、一神教だjけは否定します。

棄権者たちが政治をダメにした

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-27 18:26

前回のブログ(民主主義でなくて金権主義である)で書いたように政治家は支持団体の利益に操られていて本当の政治が出来ない、というより最初から支持団体が立候補者を選んで操り人形を作り自分達の既得権、利権どうりに動かしている。

 政治に無関心な人が多く、投票率は60パーセントくらいであり、それが彼らの仕事をさらにやりやすくしている。有権者の30パーセントくらいの票を取れれば当選するのである。政治に関心を持ち、胡散臭い立候補者を見分けることの出来る有権者がもっとたくさんいて反対票を投じればこんな状況はできないのだが、(誰がなっても同じ)だとか(自分には関係がない)(投票なんて面倒くさい)などと棄権をする人が多すぎる。

まわりを見ても選挙だけではなく、生活の中でも自分の意志を表示しない人が多いのではないか?それが社会や政治、文化をダメにしている。

精神の牢獄

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-17 21:32

健常者とはこの世のシステムとルールに基づいて生きている者である。自分の感覚器官の反応が良い匂いだとか美味しいとか気持ちよいとか、生まれた時からテレビづけシステムづけで調教されたとおりの反応形態で育てられた者(教育である)たちである。

ある時(暴走族)になり、信号なんて無視して走ることがどんなに楽しく、同時に交通ルールなんて車の走らない砂漠にはありえない、と気づいた時、現実世界がはっきりと見えてしまう。感覚や常識概念を通さないでこの世が直接的に見えた時、世界の本当の素晴らしさがわかる。それは動物達の目の輝きであるが、私たちは常識概念にしたがって生きることのほうが理にかない素晴らしいという既成概念に死ぬまで浸ってしまう。それは大多数の考えであり、(多数決原理)なのである。人権民主主義の産みだした多数決原理は教義・教祖になってしまった。内実は一部の資本家・金持ちが支配する金権主義であるのに世襲制に基づく封建主義であるのにうまく騙された。歴史は何百年後かにこのことに気づくであろう。

私の知人に更正施設に入っている人がいます。すでに何十年のもわたって真面目に軽作業をし、個室で生活をしているのです。2、3年前まで、(施設を出て、社会で働きたい)と私に訴えてきました。私はそれは当然の希望だと思い、いろいろ彼の将来について思案しましたが、あることに気づきました。(あなたの希望は身にしみてわかる。わたしはいちおう健常者として生きているわけですが、あなたが施設を出て健常者の世界に入れたとしても、常識概念にとらわれて生きている限りそれは精神の牢獄なのですよ)

私はその言葉に気づきながら、言葉には出せませんでした。

自然の復讐

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-10 21:15

(自然が人間に復讐する)という考えは別に目新しいものではありませんが、今晩NHK教育テレビを観てわたしは実感しました。(地球ドラマチック)という番組で、植物の生きる知恵を取り上げていました。昆虫に受粉してもらうためにどんなにキレイな花になろうかと工夫したり、花の姿をメス蜂に似せてオス蜂を呼び寄せたり、養分の不足がちな水生植物がプランクトンをひきよせて食べたり、それは動物に劣らぬ生き方でした。

タバコは葉が虫に食い尽くされそうになったら大量のニコチンを出して、虫たちを退散させていました。ところがある種のスズメ蛾はニコチンへの抵抗力が出来て、タバコの葉に卵を産み、その幼虫が盛んに食べ始めました。するとタバコはあるフェロモンを出してカメムシを誘い、呼びつけました。カメムシたちはつぎつぎに訪れて大好物のその幼虫を食べていったのです。

植物にも人間と同じく意識があるのです。ということは除草剤や枯葉剤を使って草を殺している人、そしてもしかしたらいつも草むしりをしている人に対して草たちはどのように思い、考えているのか想像がつきますね?

かれら、いや自然自体が自分達を破壊する人間を敵とみなし、人間が感じ取れないうちに反撃しているということはおのずから考えられることですね。

加害者と被害者の共感関係

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-11-6 1:50

尼崎の大量殺人事件がマスコミに取り上げられているが、事実関係は少しずつ明らかにされていくであろう。64歳の容疑者が身内を監禁しあるいは一派の身内を使って監禁させ、暴力をふるって金を脅し取っていたという、特異な事件である。他人が対象であるなら理解も出来るが相手が身内であるということが理解できにくい。脅迫されそうになったら逃げれば良いのにと思うが身内同士の関係が出来ていてそうも出来ないのであろう。

わたしはそこに加害者と被害者の共感関係(?絆)を感じ取る。それは(きずな)なのである。殴ったり殴られたり、イジメたりイジメラレたり、議論で攻撃したりされたり、加圧と負圧の物理的関係がそこに生じる。人間は物質で構成されている以上、そこに社会規範である(暴力は悪であり、いけないことだ)という考えあるいは殴られた腹立たしさとは別の親和力が生じているのである。触れ合ったことによる物質(原子や素粒子レベルにおいて)どうしの親しみが生じ、離れられなくなってしまうのである。わたしは労働組合の役員をしていて、ある管理職と団体交渉を何度もしたことがある。激情型の性格であるからここでは書けないようなことを言ったが、その管理職は転勤の際にお礼状を送ってきた。わたしは驚き、彼を尊敬した。(あなたは管理職としてふさわしくない)などと人前で何度も罵倒された彼を(腹があるな)と認めなおし、電話を入れたり、年賀状も送るようになり、他の管理職よりも親しくなったのである。

電車の中で痴漢をうけそうになった女性がいつまでも加害者から離れなかったり、チンピラから因縁をつけられた者がその(磁場)に取り込まれたりすることがある。こんなケースの場合は被害者と加害者の共感関係にあるという原理を用いないと説明ができない。こんな話を聴いたことがある。山奥を歩いていて、ある光景を見た。傷ついた小鳥が飛ぶことも出来ず逃げようとしていた。マムシに追われて、足を引きずりながら必死でヤブの中に逃げようとした。マムシは舌をチョロチョロさせながら体をくねらせ、迫ってくる。

小鳥は逃げていたがいつの間にかマムシのほうに寄っていき、ついに口の中に入ったという。

尼崎の大量殺人事件の関係者達はこの(磁場)の中で(きずな)が出来上がってしまったのである。そのようにわたしは分析する。

民主主義ではなく金権主義である

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-10-25 21:33

わたしたちは小学生の頃から次のように教えられてきました。日本は戦前は一部の権力者達が国民を支配し、ひどい時代でしたが、民主主義という素晴らしい世の中になりました。国民が政治家を選ぶことができ、良い国をつくることが出来るのです。

そんな風潮から70年後、民主主義の制度疲労という言葉でかたずけるにはあまりにひどい状況ですね。暴力団員の仲人までした国会議員が法務大臣にまでなり、そのことが暴露されて大臣をやめた。なぜ、国会議員の職をとかれないのだろうか?民間企業であれば会社の名誉を毀損したということで解雇になるはずである。

脅迫メールを送ったということで逮捕された人がじつは誤認であった。取調べの検事は(自分が犯人だといわなければ少年院にいれるぞ!)と脅迫し、容疑者は犯人であることを調書に書いた。本当の犯人が名乗り出なければ彼は刑務所にはいっていたかもしれない。この検事への処分はないのだろうか?あまりにもひどすぎる。まるでカフカの小説(審判)を読んでいる気持ちになった。

選挙の際、当選か落選かの予想が出てそのとおりになることが多い。支持団体を調査して、マスコミは予想してるのだが、その団体は立候補者と利益供与の関係にある。要するに票を金で売っているのである。

腹痛を起こして突然総理大臣をやめた者が政党の総裁に返り咲いた。彼に票を入れた国会議員はどんな理由でそうしたのだろうか?金と力になびいてしまったのだろうか?

生活保護世帯が増え、国の財政を圧迫してるという。政治家達は税金をばらまいて、不満分子を抑えているのである。本来は暴動がおこっても不思議ではない政治状況であるから。

どうも今の世の中、何かがオカシイ。

カフカの小説の中に(虚偽と欺瞞が世界秩序である)という言葉があり、その言葉が思い出される。橋下氏が改革に向けてがんばっているが、民主主義の多数決原理の仕組みといかに戦って信念をつらぬけるか見ていきたい。多くの支持を集めなければ権力をとれない構造は(希少性)を容易につぶしてしまいそうである。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2025 3月 » »
23 24 25 26 27 28 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 1 2 3 4 5
アクセスカウンター
2025/03/07:53/112
2025/03/06:145/256

2025/02/05より2095/10296