ブログ - 20260620のエントリ

性の哲学3肛門性交

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-20 13:46

  わたしは一度、ある女とホテルで肛門性交をしたことがある。浴室で女の体を背後から洗いながら、彼女の肛門を石鹸でこすり、背後から挿入した。膣とはちがう摩擦感があって気持ちよかったが、彼女に、気持ちいい?と聞くと返事をしなかったので止めた。いまふと考えてみると、肛門の穴の大きさはペニスが入るのに良いサイズであり、それは挿入されることを前提にしているのではないか?ということである。これは両性具有ではないか?とも考える。また、胎児には性別はなく、ある期間が経って初めて、雌雄がはっきりし、子宮やペニスが出来上がっていく。

 これはシュレーディンガーの猫における、生きてもいる死んでもいるという世界であるし、この原理はいろんな世界の考え方を変えることができるのである。愛しているか?憎んでいるか?善なのか悪なのか?神かサタンか?などの疑問も両者でありうるということになる。今の時代のような二項対立ではなく両者混交なのである。それはこれまでのパソコンの原理のように、1か0、の組み合わせに、1でもあるし0でもあるという新しいジャンルができたのである。

性の哲学2反転対称形

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-20 7:30

  男性器も女性器も素晴らしい生命体であり、まさに神の作品と呼ぶべきものである。神が味付けと味の感覚を生物に与えて、おいしいものをたくさん食べなさい、といっているように幸福を与えてくれたのである。その二つの生命体はほかの器物がそうであるように相手によって変化し進化していくのである。結婚で結ばれた男女、長い交際の男女は性器の当たり具合によって快楽を更新し、改善しあって性の頂点を目指していくことを知るようになる。男性器と女性器は全く違う形のように見えながら、実はまったく同じなのである。カギと鍵穴の関係にあるように、反転して見ればまったく同じであることがわかる。それは相手に合わせて変化していき、最後はぴったりはまり、抜けなくなるほどの結合を産む。こすりあわなくてもただ入れているだけで次から次へ快楽が押し寄せ、絶頂に至るのである。ここまでくると、二人は精神的なトラブルがあっても別れようにも別れられなくなる。

 だが、ここまで行くには努力が要る。男性は女が望むときに射精し、二人が同時にいかなければならない。射精しそうになったら、嫌な奴の顔を思い浮かべて射精を遠ざけるのである。

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