ブログ - 20241223のエントリ
およそ二週間前、北九州市で中学生が襲われ、ナイフで刺されて一人が死亡し、一人がケガをした。警察は監視カメラとドライブレコーダーを使って犯人を特定し、数日後に逮捕した。マスコミは連日のように刺された状況や犯人の身元や生活態度を報道した。犯人像がはっきりしていくにつれて、若ければ自分だって、やりかねないことに気づき、若いころを思い出した。今は年老いて、穏やかになったと人から言われ、ばあちゃんからプレゼント受けるようになったが、それはたんに老いただけのことで本心や本音はほとんど変わっておらず、良いにつけ悪いにつけ、それが自分自身であるとたかをくくっている。
人は犯人の残虐さを指摘するが、それだけストレスを抱えていたのである。高校時代はバスケット部で活躍し、職を持った、金持ちの息子がなぜ凶行に走ったのか?考えれば自分だって人を殺したいと思ったことは何度もあったことに気づく。ただ、成り行きで行動に進まなかっただけのことで成り行き次第であったのである。紙一重のような差でしかなかった。親しい男の女に手を出して見つかり、あのまま進んでいたら殺されたかもしれなかった。
容疑者の犯行時の顔と高校時代の顔を見ると、まったく別人にしか見えない。あの童顔が二十五年後は凶悪犯の顔になっているのである。それだけストレスがたまり、彼の人格を一変させたのである。わたしは大学卒業後、何をやってもうまくいかず、定職にもつけなかった。頭も悪くおまけにドモリ」りであった。ただ、好奇心が強く、自分も他人も観察の対象であった。小説を読み、哲学を勉強し、すべてを客観的にとらえようとした。それが犯行への抑止力になった。
昆虫採集も好きだったので採集をし、標本箱には思い出の虫が生き生きと展示してある。カウヤというゴミムシはヘフリムシとも呼ばれv、おならをすることで敵を遠ざけようとする。そんなことで生き続きけたのである。自分だってその程度の生き物でしかないのである。そう考えると気が楽になる。
この事件の容疑者もはやくそんなことに気づけばよかったと思う。