ブログ - 20240620のエントリ
週に一度、要介護者の家に弁当を配っている。昨日、仕事前に仲間たちと雑談をしていたら、妻の母が癌で死にかけているが世話が大変で本人も苦しんでいると言う。慰めたり助言をしたりしていたが、わたしは、死んだが勝ち、という言葉が口を突いて出た。するとまわりは黙り込みながら、一理はある、という雰囲気になった。
二十年前、宗像市の自由が丘団地を集金で回っている時、その言葉をいつも出していた老婆がいたが、すでにその人は勝ち組に入って、もうしめたものだとほくそ笑んでいるであろう。自分はあの頃は仕事もバリバリやって金を稼いでいたが、今は生活保護受給寸前の生活になってしまった。足が痛み、歩けなくなるのではないか?という不安がいつもある。
国政の選挙、都知事選挙、アメリカ大統領選挙と目白押しであるが、安楽死のことはタブーであるから誰も言わない。本当の政治家であればいうはずであるが、ブローカーたちにとっては禁句なのである。
特に日本人は戦争にやられて以来、絶対に死を認めなくなった。死そのものさえその必然性、存在すら認めようとはしない。昔は死んだが勝ちという言葉はほぼ日常的に使われ、そこに救いを見出してもいたのである。死は生まれ変わるためにも必要なのである。聖書にも、一粒の麦、と言う言葉があり、死を肯定している。これは死は神からの罰であると言う考えと矛盾するのであるが、言葉はそのまま残している。
特に死を待っている自分などにとっては、いつどのようにして死ぬのかわからないこともあって、切実なテーマである。死に対して決着をつけてくれる人が出てくるのを待ち望んでいるのは自分だけではない。本当の政治家が現れて、実現してほしい。
もう一つは少子化の問題である。妊娠したり子を産んでも育てる自信のない人の子は国や行政がひきとって育てるべきである。そうすれば堕胎も減り、人口減少に役立つはずである。
本当のことを言う政治家がうまれて欲しい。