ブログ - 20230524のエントリ
二、三日前のヤフーのニュースにこんな記事が出ていた。グーグルの偉い人が、AIが人類を追い抜きそうなることが怖いし、また、組織の中にいると自由に発言できないので職をやめると言うのであった。最初は驚き、考え直してみたが、よくわかった。AIはすでに人類を追い抜いているであろう。わたし自身をも追い抜きそうである。自分のスマフォに聖書の聖句や株投資の案内、エロの勧誘などが来るのは自分がそれらを検索しているからであり、キャシュレスを使うようになれば何を買ったか注文したかもわかる。好みがわかればそれに関する情報を流してやればとびつくことはまちがいない。人間を支配するのは簡単である。すでに企業はAIをさかんに利用している。
ところが、五十年前、スタンリーキュウブリックの(2001年宇宙の旅)という傑作が放映された。考え直すとその映画はまさに今を予言していたことがわかる。最初のシーンはゴリラが原野で石器で土を叩いている場面であった。なぜそんなシーンを出したのか?疑問であったが、それから時代がすすみコンピューターをあやつる宇宙船の中になり、AIが登場し、人間との闘いになって、最後はAIは電源を切られて死んでしまうのであった。
まさに今の時代を言い当てていることがわかる。
だが?と自分は思う。AIであれば三百メートルの道を進む場合、車が一番早くて良い、と判断することは間違いない。だが、自分や人はちがう。歩いて進んで行けば体の運動になるし、道で拾い物をするかもしれないし、知り合いと出会って心が和むかもしれない。
それにAIは秩序だった反応しか出来ず、意外性や奇抜性がなく、逆説というのがわからず、対立する考えはできない。それらはレアが得意とする分野である。そんな時代の中でレアは重要性を帯びてくるのである。まわりはAIの顔ばかりである。眉目秀麗という言葉があったが、濃いく長い眉に高い鼻、きれいな眼の男女ばかり。まさにAIに支配された顔である。