ブログ - 20210822のエントリ

予告された殺人の記録

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-22 18:09

  自称小説家としてこれまでたくさんの小説を読んできたが、ガルシア・マルケスの(予告された殺人の記録)はなんとも言い難い衝撃を与えてくれ、今でもその余韻は尾をひいている。同時に今回のコロナ事変とリンクして、ますます凄みを帯びてきている。

 今回のコロナ事変は百年に一度の惨事という人もいるが、それだけの衝撃を私達に与えていることはまちがいないし、同時にこれだけ、人類の知性の劣等をあぶりだした事例も少ないのである。感染者数が毎日公表されていて、全国的に一日に2万人に迫る勢いであるが、その数値は一週間、二週間前のものであって同時のものではないことに気づくべきである。感染してすぐに症状が出るわけではないし、すぐに検査をするわけではないし、皆が検査をするわけでもない。それに治って退院した者の数もふくまれていない。つまり、実態の数はもっと多いのであろうし、あるいは減っているのである。

 過去の数値なのである。それに対してベット数を増やす、あるいは自宅療養を増やす、野戦病院を作るなどということは実態からかなりずれたもにになってしまうのである。後手後手の対応なのである。では、コロナ側はどんな実態を把握し、戦略を変えていくのか?彼らは後手後手ではなく、同時の感染者数を把握し、臨界数値(人類絶滅、勢力低下)をテレパシーでつかみ、デルタ株以降の種を考えているのはずである。ここで数週間の時差の遅れは大きな問題をはらんでいる。つまり、人の知性の遅れ、対応のずれ、ということである。

  例えばライオンが狩りをする場合の話である。彼らは事前に攻撃役、セ子役、監視役などの役割分担をどのように指示し決めるのかわからないが、ともかく決めておいて、狩りをするが、獲物の動きも的確に捉えている。それは予想もあるが、リアルタイムのもので、今、鹿はヤブに隠れたなどの情報をテレパシーで送り、ヤブに先囘りしているのである。こんな場合、数秒前の情報なんてなんの役にもたちはしない。逆にじゃまになるだけである。ここに人間の知性と生物の本能の決定的な違いがある。

 最初の話に戻ろう。

 (自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた)これが(予告された殺人の記録)の書き出しである。なんとも奇妙な表現である。サンティアゴはある女をレイプしたためにその兄弟から殺されるのであるが、何ヶ月も前から兄弟は船に乗ってサンティアゴを探しに出かけ、今、どこに向かった、などどと噂されながら、ついに祭りの場、そのさなかにめった殺しにされるのである。サンティアゴは自分が殺される日を知っていたのか?それはわからないが、逃げようとはせず、踊りに熱狂してる最中に殺されてしまう。普通の人間であれば数ヶ月先のことがわかるなんてありえない。

 こんな小説にお目にかかることはないであろうが、、小説の作者には(神の視点)が与えられ、どんなことを書く自由も与えられているからこんな書き方ができるのである。そこに作者の天才ぶりを感じる。未来は読めないはずなのに読んでいる書き方である。

 さて、一年後のコロナ情勢はどうなっているであろうか?戦々恐々として、待つしかないし、わたしは自分がそして世界がどうなっているかわかりはしない。

 

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