ブログ - 20210312のエントリ
二歳児の、悲しい思い出。
目を覚ますと、あばら家の雨戸の隙間から朝日がさしこんでいた。また、誰もいない、一人ぽっちだ。自分を置いて、母も父も婆ちゃんもどこかに出ていってしまった・・。
起き上がり、玄関の土間に向かって、這いながらすすんだ。まだ、歩けなかった。框(かまち)まで来ると、傷みを予想して、すでに頭に痛みが走っていた。すると、頭から土間に落ちた。頭が割れるように痛み、耐えながら、じっとっしていた。玄関の敷居を這いこえて、庭に出た。誰もいない・・・。涙があふれてきた。
(母ちゃん!母ちゃん!)と叫んだようだ。返事はなく、目の前には庭の地面が門扉まで続いているだけであった。誰もいない。まわりの家にも人はいない。
大声で泣き叫び始めた。
あまりにも泣き叫び続けたのでいつものように横隔膜がけいれんをはじめ、止まらなくなった。呼吸も苦しくなり、それに耐えた。
それからどうなったか憶えていない。・・・眠ってしまい、何時間か後に母が戻って来たのであろう。
七十三歳になった今でもこの出来事は鮮明に残り、横隔膜に痙攣が自分のドモリに悪影響を与えたのではないか、と思う。それから、小学校に入ると、夏休み、春休みには必ず、親類の家に預けられた。
なにか理由があったのか?と母にたずねてみようと思いながら、両親は亡くなってしまった。
自分はその時、片割れだったと思う。母の体から産まれ出て離れ、外界に放り出されたのである。一粒種であった。だから、元の鞘に戻ろうと、泣き叫んだのである。この歳になっても、女が欲しいと思うのはその二歳児の頃のように、泣き叫びながら追い求めているのであろう。