ブログ - 20191024のエントリ
退職して10年になり、年金生活は苦しいが、精神的には良い人生を送っていると思う。会社関係の友人・知人はすべて消えたが、住まいのまわりに、(人)が宝になって現れたからである。わたしの夢の基本は(原始共産制)であるが、地元の人々と、身体障害者の会、年金の会、キリスト教会などとの関わりながら
、助けたり、助けられたりしながら、共生関係がうまれ、新しい発見、新しい人と出会いをして、豊かな余生を過ごしている。
教会には毎週通い、月に何度かは、家庭集会が持たれる。信者の家を神父さんも含めて訪れ、食事をしながら、歓談するという単純なものであるが、そこに何とも言えない幸福感が産まれる。屁理屈屋、変わり者と呼ばれるわたしがその場で、宗教や哲学、政治・社会についてしゃべっても議論の相手をしてくれる元・お医者さんがいるし、神父もいるし、信者もいる。その場自体が社会や人生・歴史・生命の謎などの疑問を論ずる場なのである。
昨日の祈祷会は(聖霊が降りる)という題の話であったが、議論が、御使いは天使か?霊とは何か?幽体離脱とは?
体離脱?神は心の中にいるのか?などと発展した。昼食は、元・医者の車で出かけて、5人で、美味しいかけそばを食べた。元・医者は私を気づかって私の代金を払ってくれる。彼は私と同じく一人住まいであるから話し相手を求めて、わたしを彼の家によく招いてくれる。
そんな歓談の場で写真とってもらうと、みんな花が咲いたような笑顔を見せてくれている。人生の中で(花がさいた