ブログ - 20190831のエントリ
このブログを打っている今、闇の降りた庭からコオロギの鳴き音が、鈴を転がすような声で鳴いている。少し、涼しくなり、もう秋の気配が伝わって来る。今日は庭に三十センチも伸びた草を草刈り機で刈り、ヌカをまいた畝の上にかぶせてきた。草は腐れ、ヌカの力で発酵し、地を柔らかくして養分を出してくれることを期待している。
七百坪の土地の草刈りであるから、疲れて、嫌になってくる。でも、自然について考える機会でもある。三畝も植えていたトマトの実は全部腐り、カボチャを植えておくべきだったと後悔している。草の中にしし唐が実をつけていたので、ハムと混ぜてフライパンで炒め、卵を入れて混ぜ、ケッチャップをかけて、夕食に、食べた。しし唐は唐辛子のように激カラではなく、ほどよい辛さである。
この、ほど良い辛さは、しし唐が人間の味覚を知って、つけたに違いない。薬味や香料の種類だけで数十種類もあるのである。そのライバルたちを相手に、俺の味を味わってみろ!とつぶやいているようであった。もともとは野草の一種でしかなかったしし唐は、人間が狩猟生活から農耕生活に変わった頃から、人間に栽培されて生きる道を選んだのであった。雑草の立場であれば人間に嫌がられ、刈られて、肥料にされるところを育ててもらい、人類が生き延びている間は命が保証されているのである。
お見事、というしかない。
役立たずの私からみれば、賢いのである。
でも、人類が絶滅したら、野菜たちはどんな生き方にかわるであろうか?野草に変わりその生き方に戻るに違いない。