ブログ - 20190814のエントリ
わたしは、厳しい母親に育てられたこともあって、独立心が強かったが、老境において、下級老人になってしまった。人に依存して生きるなんて大恥じであるが,依存しなければ生きていけないかもしれない。そこで、自分を正当化するのであろうが、(人は自分の力だけでは何一つ出来ません)と聖書にあるように、どんな金持ちでも権力者でも自然の恵みがなければ、そして百姓がいなければ生きていくことは出来ない、と考えるようになった。つまり、すべての生命は依存し合い、そして物質でさえも単独では生きていけないのである。
食物連鎖の構造においても、一つの種が欠けると全滅するわけであるが、多くの種を神が造った、と創世記にあるように、雑食性がある限り、そうはならないし、一つの種しか食べない種は早く絶滅するのである。
最初に生命が産まれた頃は動物と植物の区別はなかった。どちらでもある生命が活動していたが、ある時期から区別が生まれ、別々の道を歩むようになった。植物の道を選んだものは動かなくても生きていけるが、動物を選んだものは動かなければ生きて行けなくなった。植物の中でも野菜は人に美味しい味を与えるようになって、栽培されて生きる道を選んだ。依存である。雑草は独立心が強く、人間など頼りにはしないが、土には依存して養分をもらっている。
けっきょくどんな生命も連鎖の構造の中にいる限りは依存しあっており、それが生きる事なのである。良いとか悪いとかは言えないのである。