ブログ - 20190104のエントリ
これは高校時代、日本史を学んだ時、記憶に残った言葉である。当時は何とも思わなかったが、今の時代の感覚と、私自身の性格との親密度においても、素晴らしい、と言える。当時の民家は木と紙で出来た寄せ木細工みたいなもので、火事が起こってすぐに逃げ出し、新しい家に住むという安易さがあったし、野次馬も家人の噂話をしながら、芝居でも見るような気分で見物していたのであろう。喧嘩だって近頃はまったく街中では見なくなったが、当時は見物人や仲裁役がいて、理由を身の上を聞きながら、教え諭したりしながら経緯を鑑賞していたにちがいない。
(花魁歩き)というのもあって、芸を持つ娼婦が相手の男の家に通うのに、付き人を何人も付け、髪に何本ものかんざしをつけ、御姫様の着るような豪華な裾弾き姿で、天下の道を道中していったという。高下駄で地面に半円を描きながら、撫でるような歩き方で行ったという、今では信じられない光景があった。現代においては、風俗で働く女は個室でこっそりと身を売るのに、当時は天下の王道を堂々と見せびらかして歩いたという・・。男女の心中事件でさえ、悲惨さよりも美化されて、芝居になり、客を沸かせたのである。
それに引き換え、文明開化という名のもとに、近代化され、世界の国々と交わり、戦争にまで走ってしまった時代は、夏目漱石の陰鬱な表情の写真に見られるような、まさに悲惨であった。
封建主義から民主主義へ移行し、良かった、と為政者は教えるが、そんなものではなかった。江戸時代がもっと続いた方が良かったのである。これからは、外国人労働者の受け入れを始め、高齢化も含め、様々な変化が予想されるが、人間は皆、同じであり生活も変わらないのだから、火事と喧嘩は江戸の花、というくらいの心意気で生きていければ、と思う。