ブログ - 20171223のエントリ
昨日はSさんから電話が入り、13時にいつもの衣料品店の駐車場で待ち合わせ、車の中で論議をすることになった。論議、と言っても彼にとってはエホバの証人の布教活動なのであり、私にとっては、宗教及びエホバの証人の研究である。わたしは(人間や神の行うことは間違いが多く、AIが神になりますよ)と訴えるつもりであった。
Sさん夫婦は約束の時間に駐車場にやって来た。わたしは後部席に乗りこみ、Sさんと隣り合わせに座った。彼は聖書の内容の全体を知るためにはこの本が良いのです、と言って(聖書は実際に何を教えていますか)と言う本を私に開かせ、第一章から朗読することを求め、わたしは読んでいった。日曜礼拝と同じように、下段に質問と答えが用意されていて、答えは読んだ文章の中に書いてあるのだった。彼は質問し、わたしは答えたが、(神に関する真理とは何ですか)などの質問に対しても(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言ったようなありきたりの答えしか書いていない。
わたしは言った。
「モルモン教は一夫多妻を行うが、あなたたちの宗派はそれを淫行と言って否定している。同じキリスト教で使っている聖書も同じなのに何故そんな食い違いが起きるのか?」
「モルモン教徒は聖書を読んでいないからですよ」
「物理化学の法則や方程式にはそんな間違いは絶対に起こらないから、わたしはそちらの方が真理だと思います」
私の言葉に彼らの反論はなかった。
「聖書に法則や方程式は無くても金言やしんごんじみたものがあればそれは真理でしょう」
私は言い、(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言う言葉は(求めよさらば与えられん)と言う言葉で記憶していたことを思い出した。
電車の中でも、待合室でも歩きながらでもスマホを見ている者が多数を占めるようになっている。(金欠病で苦しんでいますがどうすれば良いでしょうか?)と打ち込めば、(働いてみますか?どんな仕事が希望ですか?)と返事が返り、仕事を探してくれるだろうし、(一人ぽっちで寂しい)と打ち込めば出会い系サイトを紹介してくれるであろう。
エホバの証人たちがいつも聖書を持ち歩き、不安や疑問があったら開いて相談や助けを求めるように今はスマホが聖書になってきている。
「やがて、AIが神にとって代わりますよ」
私が言うと、「AIもけっきょくは人の造ったものです」
Aさんは応えた。
「パソコンやスマホは正確に打ち込めばほとんど間違いなく答えてくれる。知性が純粋培養されたものですよ。だから人間を超えていきます」
わたしは言って、それが神になっていく、と信じた。