ブログ - 20171208のエントリ
この言葉は三島由紀夫の小説(愛の渇き)に出てる言葉であるが、わたしは若い頃に読み、今でも心に強く残っている。
昨日、近所のA君宅を訪れた。彼はその前に私の家を訪れたが、わたしが不在だったので家に戻ったと言う。彼は週に一度はわたしを訪れて、愚痴をこぼす。この町の人間はすっかり表情を失ってる、若い頃はみんな元気があったのにとか、老いた母の足腰が立たなくなって心配だ、下の世話が大変だとか話し、私も身障会やカラオケ会、年金の会、パソコン教室に行った時の出来事を話す。二人とも孤独で、金がない、世の中を批判的に見ていることが共通している。
彼の貧しい家に上がると、コーヒーを入れ、石油ストーブで焼いた芋を出してくれた。母親は84歳で、奥の間に寝ていて、(お母さん!起きなさい!ご飯、食べてないやろがね)と彼は声をかけ、古いアルバムを開いてわたしに見せてくれた。モノクロ写真がほとんどであったが、酒屋をしていた母親の実家の叔父や叔母たちが純な笑顔でわたしを見返していた。わたしはその時代を知っていたので、彼の今の人は表情がない、という言葉に同感し、写真で以前の日本人を感じるたびに私は強く胸を突かれた。彼の父がカメラを持っていたせいであろう、彼の幼少時の写真はわたしのそれの十倍くらいはあった。
彼が毎週みたいに撮った母親の写真がアルバムに入っていて、わたしはその愛情の深さに驚いた。自分の恋人にでもそこまでする男は少ないであろうが、彼は女には関心がなく六十歳過ぎても独身である。母親が恋人以上の女なのであろう。
わたしは自分の母親が寝たきりになった時、別の家に住んでいたこともあって週に一度も訪れなかった。
母は孤独死してしまった。母はどこか遠ざけたい人であったが、死に目に会えなかったことが悔やまれた。
A君にとって母親が起き上がれないことがよほどショックだったのだろう、時々、涙ぐんだ。昔の家庭の出来事を話し、何度もに母に声をかけて起きるように呼び掛けた。
(中村さんが来とるんよ!あ母さんは中村さんのお母さんと町営の風呂によう行ったやない!)
彼は立ち上がり、母親のベットのそばに行った。
わたしもついて行った。
母親はベットの中にうつ伏せに寝ていて、起き上がろうとしていたが起き上がれないのであった。
わたしは白髪のない黒い後頭部を見た。
そこで軽いショックを受けたが理由はわからなかった。
一日たって、わかった。
私の母が孤独死し、医者が検死をしてる時、わたしは母のベットに行った。体が五倍くらいに膨れ上がり、顔も別人に見えた。わたしは立ちすくんだまま、後頭部の髪の生え際のうねりを見て、母であることを確認したのであった。
その生え際がA君の母親のそれと重なってよみがえったのだ。
愛さえなければ苦しまずにすむが、愛があれば苦しみも減るのである。
A君の母親のことが心配になり、(俺に出来る事があったらしてあげる)と言うと、彼は私の手を握って、また涙ぐんだ。彼の身内も死に絶え、遠方に散っていて、頼る者がいないのである。趣味も山歩きと酒を飲むことくらいしかない。
母親の事より、A君の取り乱した精神状態が心配なのである。
家に入れて、一緒にご飯を食べたりしゃべったりすることになるだろうが・・。